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浅間山 (東京都)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浅間山
浅間山
南から眺めた浅間山
標高 79.7 m
所在地 日本の旗 日本 東京都府中市
位置
浅間山 (東京都)の位置(日本内)
浅間山 (東京都)
北緯35度40分52秒 東経139度30分9秒 / 北緯35.68111度 東経139.50250度 / 35.68111; 139.50250座標: 北緯35度40分52秒 東経139度30分9秒 / 北緯35.68111度 東経139.50250度 / 35.68111; 139.50250
種類 残丘
プロジェクト 山
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浅間山(せんげんやま)は、東京都府中市にある標高79.6mの陸軍に利用されていたが、太平洋戦争後に払い下げられ、1970年6月1日に東京都立浅間山公園として開園した。

人見街道沿いにあり、歴史の書や絵に記されている。この周辺の地はかつて人見村であり、「人見山」とも呼ばれた[1]

地形

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台地河川によって削られて丘として残ったもので、府中市唯一の山である。堂山(79.6m)、前山、中山の3つの山により構成されている。周辺との比高は約30m。「人見四郎墓跡」が前山尾根にある。

太平洋戦争中は陸軍燃料廠があり、浅間山の麓の窪地などには航空燃料貯蔵タンクが設置されていた。また、陸軍の調布飛行場戦闘機を隠蔽する場所としても利用された。

地質は多摩丘陵と同じく三浦層群からなり、その上に御殿峠礫層(古相模川によるもので多摩丘陵北部に分布)、関東ローム層も見られ、武蔵野台地成立前に遡る古い多摩川が削って残した残丘(浸食丘)と考えられる[2][3](アーカイブ)。御殿峠礫層がある点で稲城南山とは異なっている。[4][5]

生態系

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樹木はコナラクヌギイヌシデなどがあり、武蔵野の面影を残す雑木林である。その他の植生としては、日本で唯一の「ムサシノキスゲ」の自生地があり、5月頃に開花する[6]。このほかキンランギンランヤマユリなどの山野草が見られる。

野鳥も多く、地元住民などによる「浅間山自然保護会」が植物・野鳥の保護や見学イベントを行なって[6]

浅間神社

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山頂には円形の古墳があり、その上に浅間神社(人見浅間神社)のがある。堂山の頂上に鎮座する。祭神木花開耶姫命。祭日は、四月一日。神社誌によると「祭神木花佐久夜比命・由緒鎮座の起源年月未詳 社殿間口二尺奥行二尺但し『石ノ宮』境内 立木十五本 信徒五十九人」となっている。ご神体十一面観音立像。

(人見村)浅間社 小社、堂山の丘上にあり。例祭六月朔日。神体は佛体にして立身の銅佛を安ず。長一尺五寸、もと村内中山の清泉中より出現せりと云。旱魃の時には土人此像を、かの清泉の所に遷して奉祭すれば、必ず感応ありといふ。 — 新編武蔵風土記稿[7]

ギャラリー

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アクセス

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所在地
東京都府中市浅間町四丁目と若松町五丁目にまたがる一帯。
アクセス
JR中央線武蔵小金井駅あるいは京王線東府中駅より京王バスにて「浅間山公園」下車。
東府中駅より徒歩約18分。
北西角道路沿いに駐輪場駐車場は無い。

出典

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  1. ^ 『武蔵名勝図会』「人見山 村の西寄りにあり。三ヶ所屹立し、堂山、中山、浅間山と唱う。その内にて浅間山を第一とす。そのニは堂山、その三は中山なり。」
  2. ^ キラリ府中 『多摩の台地が河川に削られ小高い丘として残ったもの』
  3. ^ 府中市 「浅間山の地形 立川段丘面地域で特異な地形は、地域の東部にある浅間山である~(略)~浅間山の地質は多摩丘陵を構成する三浦層群から成るもので、周囲の段丘の地質とは全く異なっている。すなわち武蔵野段丘 や立川段丘の形成される以前に、すでに、古多摩川やその他の河川によってその周辺がけずり取られ、孤立丘となって残った侵食残丘である。従って、地形的には多摩丘陵の一部で、多摩段丘に属していると考えられる。」[リンク切れ]
  4. ^ (株)クボタ 多摩丘陵
  5. ^ 稲城南山とその周辺 多摩丘陵編
  6. ^ a b 「新緑に映える黄 ムサシノキスゲ 府中・浅間山」『読売新聞』朝刊2023年5月4日(都民面)
  7. ^ 「人見村/浅間社」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ93多磨郡ノ5、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763989/7 

関連項目

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外部リンク

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