沖縄文教学校
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沖縄文教学校 | |
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設置者 | 琉球列島米国軍政府[1] |
設立年月日 | 1946年1月10日 |
閉校年月日 | 1950年5月 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒(郵便番号未導入) |
沖縄文教学校(おきなわぶんきょうがっこう)は、1946年1月に具志川村(現在のうるま市)田場に開設された沖縄戦後初の教員養成機関であり、米軍の指示により本土に先駆けて男女共学であった。当初は「師範部」「外語部」「農林部」の3部で構成されたが、「外語部」は沖縄外国語学校に、「農林部」は現在の沖縄県立中部農林高等学校に分離独立した。
修業期間は1期生は2か月、2期生は4か月、3期生は6か月と次第に長期化していった。修了者には教員免許が付与され、1年間の教員勤務が義務付けられた。
1950年の琉球大学開学に伴い吸収された。
著名な出身者
[編集]脚注
[編集]文献
[編集]- 琉球新報社編『ことばに見る沖縄戦後史』pp101-107「文教学校」、ニライ社、1992年3月
- 『沖縄文教学校の開設』公評44巻8号pp64-71、2007年9月
- 琉球大学「創立前史」『十周年記念誌』琉球大学、1961年、22-23頁。