横竹翔
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名前 | ||||||
愛称 | ツバサ、オバマ[注 1] | |||||
カタカナ | ヨコタケ ツバサ | |||||
ラテン文字 | YOKOTAKE Tsubasa | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1989年8月30日(35歳) | |||||
出身地 | 広島県広島市東区 | |||||
身長 | 177cm | |||||
体重 | 78kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | 高知ユナイテッドSC | |||||
ポジション | MF / DF / FW | |||||
背番号 | 22 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
サンフレッチェ府中サッカースクール | ||||||
サンフレッチェ広島ジュニアⅡ | ||||||
サンフレッチェ広島ジュニア | ||||||
サンフレッチェ広島ジュニアユース | ||||||
2004-2007 | サンフレッチェ広島ユース | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2008-2013 | サンフレッチェ広島 | 43 | (0) | |||
2013 | → ガイナーレ鳥取 (loan) | 32 | (1) | |||
2014 | ガイナーレ鳥取 | 10 | (0) | |||
2015 | アイゴッソ高知 | 12 | (3) | |||
2016- | 高知ユナイテッドSC | 125 | (22) | |||
通算 | 222 | (26) | ||||
代表歴 | ||||||
2005 | 日本 U-16 | |||||
2007 | 日本 U-18 | |||||
2010 | 日本 U-21 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2024年9月12日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
横竹 翔(よこたけ つばさ、1989年8月30日 - )は、日本のサッカー選手。広島県広島市東区出身。広島県立吉田高等学校卒業。
来歴
[編集]平繁龍一以来2人目となる、サンフレッチェ広島ジュニア、ジュニアユース、ユースを経てトップチームに昇格した生え抜きプレーヤー。小学生チームのコーチを務める父の影響もあり、子どものころからサッカー一筋。小学1年生のころにサンフレッチェ府中サッカースクールに参加したのが縁[1]。
ジュニア時代から平繁と2トップを組み活躍。2000年にはDF・GK登録で全日本少年サッカー大会出場[2]。全日本少年フットサル大会には2年連続で出場し2000年準優勝に貢献、2001年には大会優秀選手に選ばれる[3]。ジュニアユース時代にはFWとして2003年ナイキプレミアカップジャパン優勝に貢献、マンチェスター・ユナイテッド・プレミアカップに出場している。2004年、中学3年時から既にユースに合流し、全広島サッカー選手権大会決勝では中学生ながら大学生相手にゴールを決め、同年Jユースカップにも出場している。
2005年、正式にユースに昇格[注 2]。1年次からFWとしてレギュラーを掴み同年JFAプリンスリーグU-18中国で得点王になるも、怪我人が続出したためCBにコンバートされると槙野智章とのCBコンビで同年の高円宮杯ベスト4に貢献。2年次にはFWとして高円宮杯得点王、同年にはMFとしてJユースカップ優勝に貢献。3年次にはMFとしてエースとしてチームを牽引、高円宮杯準優勝に貢献した。
2008年、トップ昇格[1][注 3]。2年目の2009年、春のキャンプで評価を上げ、同年4月4日対ガンバ大阪戦で公式戦デビューを飾る。以降、CBおよびボランチとして出場機会を増やした[4]。
2012年2月7日、春のキャンプ中に動悸と息切れを起こしたことから精密検査を行い、不整脈(心房細動)が発見された[5]。同年2月13日にカテーテル手術を受け、翌14日に退院し、同月18日から医師の了解のもとチームに帯同しリハビリを開始した[6]。同年3月15日、全体練習に復帰し、同月18日練習試合に出場している。同年6月6日に公式戦出場を果たした。以降リーグ戦ではベンチ入りはしていたものの試合出場が叶わなかった[7]。
2013年、MF・DFができる器用さを評価されガイナーレ鳥取へ期限付き移籍した[7]。序盤はキャプテンに任命され中心選手として活躍するも、小村徳男の監督解任および前田浩二の監督就任以降、チーム混迷とともにキャプテンを剥奪される[8][9]。同年末、広島側からの契約満了に伴い鳥取へ完全移籍した[10][11]。2014年はリーグ戦10試合出場に終わり同年シーズン終了後、契約満了により鳥取を退団[12]。
2015年、アイゴッソ高知へ移籍[13]。その後2016年に高知UトラスターFCとの合併で設立された高知ユナイテッドSCに在籍。
2016年から高知ユナイテッドでキャプテンを務め[14]、翌2017年には背番号を10に変更。2023年まで背番号10とキャプテンを務めていたが、2024シーズンは背番号10を佐々木敦河、キャプテンを小林大智に譲り、自身は背番号22を背負った。
人物
[編集]2024年時点で唯一の高知ユナイテッドSC設立当初からの所属選手であり、『KICK OFF! KOCHI』では「ミスター高知ユナイテッド」と呼ばれている[15]。
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2008 | 広島 | 22 | J2 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |
2009 | J1 | 16 | 0 | 4 | 1 | 1 | 0 | 21 | 1 | ||
2010 | 27 | 0 | 4 | 0 | 2 | 1 | 33 | 1 | |||
2011 | 12 | 0 | 2 | 0 | 2 | 1 | 16 | 1 | |||
2012 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | |||
2013 | 鳥取 | 7 | J2 | 32 | 1 | - | 1 | 0 | 33 | 1 | |
2014 | J3 | 10 | 0 | - | 0 | 0 | 10 | 0 | |||
2015 | I高知 | 18 | 四国 | 12 | 3 | - | - | 12 | 3 | ||
2016 | 高知U | 8 | 3 | - | 1 | 0 | 9 | 3 | |||
2017 | 10 | 14 | 4 | - | 1 | 1 | 15 | 5 | |||
2018 | 13 | 8 | - | 2 | 0 | 15 | 8 | ||||
2019 | 14 | 4 | - | 2 | 0 | 16 | 4 | ||||
2020 | JFL | 15 | 1 | - | 3 | 0 | 18 | 1 | |||
2021 | 26 | 0 | - | 2 | 0 | 28 | 0 | ||||
2022 | 24 | 1 | - | 2 | 0 | 26 | 1 | ||||
2023 | 11 | 1 | - | 4 | 0 | 15 | 1 | ||||
2024 | 22 | - | |||||||||
通算 | 日本 | J1 | 55 | 0 | 12 | 1 | 5 | 2 | 72 | 3 | |
日本 | J2 | 32 | 1 | - | 1 | 0 | 33 | 1 | |||
日本 | J3 | 10 | 0 | - | 0 | 0 | 10 | 0 | |||
日本 | JFL | 76 | 3 | - | 11 | 0 | 87 | 3 | |||
日本 | 四国 | 61 | 22 | - | 6 | 1 | 67 | 23 | |||
総通算 | 234 | 26 | 12 | 1 | 19 | 3 | 269 | 30 |
国際大会個人成績 | FIFA | |||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
2010 | 広島 | 22 | 5 | 0 | - | |
2012 | - | 0 | 0 | |||
通算 | AFC | 5 | 0 | 0 | 0 |
出場歴・タイトル
[編集]個人
[編集]- JFAプリンスリーグU-18中国得点王(2005年)
- 高円宮杯全日本ユース選手権得点王(2006年)
クラブチーム
[編集]- アンダーカテゴリー
- 全日本少年フットサル大会(2000年準優勝)
- メニコンカップ日本クラブユースサッカー東西対抗戦U-15(2003年・西軍)
- ※クラブユース選手権優秀選手より選抜
- ナイキプレミアカップジャパン(2002年準優勝、2003年優勝)
- マンチェスター・ユナイテッド・プレミアカップ出場(2003年)
- 日本クラブユース選手権U-15(2003年3位)
- Jユースカップ(2006年優勝)
- 日本クラブユース選手権U-18(2005年3位、2007年3位)
- 高円宮杯全日本ユース選手権(2005年3位、2007年準優勝)
- トップチーム
- 初ベンチ入り:2009年4月4日J1第4節 対ガンバ大阪戦(万博記念競技場)
- 公式戦初出場:2009年4月4日J1第4節 対ガンバ大阪戦(万博記念競技場)
- 89分、森脇良太に代わり途中出場
- 公式戦初得点:2009年5月30日ヤマザキナビスコカップ 第4節 対大宮アルディージャ戦(広島ビッグアーチ)
- 68分、中島浩司に代わり途中出場、89分ゴール
- Jリーグ初得点:2013年11月17日J2第41節 対ギラヴァンツ北九州戦(北九州市立本城陸上競技場)
- 71分ゴール
代表歴
[編集]- U-16日本代表(2005年)
- U-18日本代表(2007年)
- U-21日本代表(2010年)
脚注
[編集]注釈
出典
- ^ a b “飛躍へサンフレ新人 FW横竹翔”. 中国新聞 (2008年2月25日). 2014年1月9日閲覧。
- ^ “チーム紹介”. 全日本少年大会公式. 2014年1月9日閲覧。
- ^ “過去の大会記録一覧”. FC JAPAN. 2014年1月9日閲覧。
- ^ “19歳横竹、成長中 けが人相次ぎ出場増”. 中国新聞 (2009年7月2日). 2014年1月9日閲覧。
- ^ “DF横竹が不整脈手術”. 中国新聞 (2012年2月15日). 2014年1月9日閲覧。
- ^ “手術の横竹、チーム合流”. 中国新聞 (2012年2月19日). 2014年1月9日閲覧。
- ^ a b “期待の新戦力紹介【Part.2】横竹翔「期待してくれている以上の活躍を見せたい」”. ぐるっと中国DX. 2014年1月9日閲覧。
- ^ “横竹翔、定位置奪回へ「自分の力を出していけるように」”. エル・ゴラッソ (2013年8月14日). 2014年1月9日閲覧。
- ^ “無失点での勝利を目指す永里源気「勝ちにいくだけ」”. エル・ゴラッソ (2013年11月14日). 2014年1月9日閲覧。
- ^ “広島、MF横竹の契約満了発表…今季は鳥取に期限付き移籍”. ゲキサカ (2013年12月11日). 2014年1月9日閲覧。
- ^ “広島MF横竹は昨季プレーの鳥取へ完全移籍”. ゲキサカ (2014年1月9日). 2014年1月9日閲覧。
- ^ 『契約満了選手のお知らせ』(プレスリリース)ガイナーレ鳥取、2014年11月27日 。2014年11月27日閲覧。
- ^ 『横竹 翔選手 アイゴッソ高知へ移籍決定のお知らせ』(プレスリリース)ガイナーレ鳥取、2015年3月25日 。2015年3月25日閲覧。
- ^ 『高知ユナイテッドSC ユニフォームおよびキャプテン決定のお知らせ』(プレスリリース)高知ユナイテッドSC、2016年3月7日 。2024年9月12日閲覧。
- ^ “高知に来て10年目!再びJリーグの舞台に!!高知ユナイテッドSC 横竹翔選手 KICK OFF! KOCHI(キックオフこうち)#21 2024年8月23日放送回”. YouTube (2024年8月28日). 2024年9月12日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 横竹翔 (@tsubasa8y) - X(旧Twitter)
- 横竹翔 - Soccerway.com
- 横竹翔 - FootballDatabase.eu
- 横竹翔 - WorldFootball.net
- 横竹翔 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 横竹翔 - FIFA主催大会成績
- 横竹翔 - J.League Data Siteによる選手データ