桑原善吉 (10代)
表示
桑原善吉 くわばら ぜんきち | |
---|---|
生年月日 | 1858年9月20日 |
出生地 | 日本 美濃国加茂郡太田村(現岐阜県美濃加茂市) |
没年月日 | 1934年4月30日(75歳没) |
所属政党 | 研究会 |
親族 | 兄・林小一郎(衆議院議員) |
在任期間 | 1921年10月19日 - 1925年9月28日 |
10代 桑原 善吉(くわばら ぜんきち、1858年9月20日(安政5年8月14日[1][2])- 1934年(昭和9年)4月30日[3])は、明治から昭和前期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。旧姓・林。
経歴
[編集]美濃国加茂郡太田村[4](岐阜県加茂郡太田町を経て現美濃加茂市)で素封家・林市郎兵衛の二男として生まれ、のちの岐阜市玉井町の材木商・9代桑原善吉の婿養子となる[1][2][4]。1889年(明治22年)7月、家督を相続した[1][2]。
家業の材木商「桑善」を営む[5]。1877年(明治10年)10月に創立した第十六国立銀行(後の十六銀行)の経営に参画し、重役を経て頭取に就任した[6]。また、岐阜電気取締役、岐阜貯蓄銀行頭取、岐阜材木同業組合長、第4代岐阜商業会議所会頭、岐阜県地方森林会議員などを務めた[1][2][7]。
政界では1877年以降、岐阜県会議員、岐阜市会議員を務めた[3][8]。1921年(大正10年)9月、補欠選挙で貴族院多額納税者議員に互選され[8][9]、同年10月19日から[10] 1925年(大正14年)9月28日まで在任した[3]。在任中は研究会に所属した[3]。また幾度も衆議院議員の立候補を勧められたが出馬することはなかった[8]。
親族
[編集]- 養子 桑原善吉 (11代)(甥・善太郎の長男、岐阜商工会議所会頭)[11]
- 兄 林小一郎(衆議院議員)[4]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
- 菊池武徳『日本木材界人物伝 第2巻』日本木材界人物伝編纂部、1928年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 吉岡勲編著『郷土歴史人物事典 岐阜』第一法規出版、1980年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
|
|
|