柴田崎雄
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 福岡県 |
生年月日 | 1925年11月2日 |
没年月日 | 1986年12月13日(61歳没) |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 1943年 |
初出場 | 1944年 |
最終出場 | 1944年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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柴田 崎雄(しばた さきお、1925年11月2日 - 1986年12月13日[1])は、福岡県[1]出身のプロ野球選手。
経歴
[編集]現役時代
[編集]飯塚商業学校から1943年に西鉄軍へ入団[1]。1944年の西鉄軍解散に際して東京巨人軍へ移籍し[2]、同年退団。
引退後
[編集]引退後は軍に召集されたのちに復員し、八幡製鐵などで働いていた[2]。
1957年に中日ドラゴンズのスカウトへ就任した[2]。スカウト自由競争時代から活躍し[3]、江藤慎一[2][3]、板東英二[4]、権藤博[2]など多くの選手獲得に携わった。
上記のようにやり手で名を馳せた一方で、柳川事件・門岡事件・高井事件に係わるなど強引な手段をとることもあった[2][5]。1966年の高井事件ではアマチュア球界側が態度を硬化させたため、NPB側のコミッショナー裁定により1年間のスカウト活動禁止が言い渡されている[5]。
渉外課長であった1968年にドラゴンズから解雇され、球団相手に訴訟を起こすと報じられた。原因は親会社・中日新聞社の派閥争いに巻き込まれたためとされている[2]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1944 | 巨人 | 3 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | -- | 0 | -- | 1 | 1 | -- | ---- | .333 | ---- | .333 |
通算:1年 | 3 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | -- | 0 | -- | 1 | 1 | -- | ---- | .333 | ---- | .333 |
背番号
[編集]- 14 (1943年)
著書
[編集]- 『いい人たちばかりの中で―あるプロ野球スカウトの記録』(1969年 六芸書房)
脚注
[編集]- ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、267ページ
- ^ a b c d e f g "スカウトが球団を訴える?/週ベ回顧 - 週べ60周年記念". 週刊ベースボールONLINE. 2021年9月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月26日閲覧。
- ^ a b "川筋もんのよかスカウト・柴田崎雄の流儀【越智正典 ネット裏】". 東スポ web. 2021年4月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月26日閲覧。
- ^ "【12月11日】1958年(昭33) 中日、大逆転の末に"奪三振王"板東英二獲得". Sponichi Annex. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月26日閲覧。
- ^ a b "高井事件の続報/週ベ回顧 - 週べ60周年記念". 週刊ベースボールONLINE. 2021年9月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月27日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 柴田崎雄 - NPB.jp 日本野球機構