最勝寺 (江戸川区)
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目黄不動 牛寶山最勝寺 | |
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目黄不動 | |
所在地 | 東京都江戸川区平井1-25-32[1] |
位置 | 北緯35度42分14.1秒 東経139度51分3.7秒 / 北緯35.703917度 東経139.851028度座標: 北緯35度42分14.1秒 東経139度51分3.7秒 / 北緯35.703917度 東経139.851028度 |
山号 | 牛宝山[1] |
院号 | 明王院[1] |
宗旨 | 天台宗[1] |
本尊 | 釈迦如来 |
創建年 | (伝)元慶元年(877年) |
開山 | 良本[2] |
開基 | 慈覚大師円仁[2] |
正式名 | 牛寶山明王院最勝寺 |
別称 | 目黄不動尊、目黄不動明王、目黄不動 |
札所等 |
江戸五色不動 関東三十六不動霊場19番 |
文化財 | 目黄不動明王像 他 |
法人番号 | 4011705000081 |
最勝寺(さいしょうじ)は、東京都江戸川区平井にある天台宗の寺院。通称「目黄不動尊」、正式名称は「牛宝山(ごほうざん)明王院最勝寺」である。
本尊
[編集]歴史
[編集]寺伝によれば、貞観2年(860年)、円仁(慈覚大師)により隅田川畔(現在の墨田区東駒形)に草創され[3]、元慶元年(877年)、円仁の高弟良本阿闍梨により開山されたという[4][注釈 1][3]。
近世には牛島神社(牛嶋神社、牛御前社、牛ノ御前、墨田区向島一丁目)の別当寺を務めた。なお、牛島神社も貞観2年、円仁の草創伝承をもっている。
明治初年、神仏分離により別当をつとめていた牛島神社の本地仏であった大日如来像が最勝寺に遷座された[1]。
大正2年(1912年)、寺は駒形橋の架橋工事による区画整理で本所表町の旧地から南葛飾郡下平井(現在地)へ移転した[4][1][3]。
文化財
[編集]- 木造不動明王坐像 - 江戸川区登録有形文化財・彫刻、昭和56年1月13日告示[5]。右目は大きく見開いていて悪事を許さない、一方左目が半開きになっているのは慈悲の表れであると言われている。拝観は住職に声をかければ可能である。
墓所
[編集]札所等
[編集]交通アクセス
[編集]- バス
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- “牛宝山明王院 最勝寺(通称:目黄不動)”. 天台宗東京教区. 2020年5月30日閲覧。
- 「民俗・文化・自然編 第二章 神社と寺院 第二節 寺院 三 各神社の由緒沿革 八六 最勝寺」『江戸川区史』 第三巻、江戸川区、1976年3月、534頁 。
- “木造不動明王坐像”. 江戸川区文化財・史跡 (2019年1月31日). 2020年5月30日閲覧。
- 斎藤幸雄「巻之七 揺光之部 牛寳山最勝寺」『江戸名所図会』 4巻、有朋堂書店、1927年、168-171頁。NDLJP:1174161/89。
- 墨田区教育委員会社会教育課編集『むかし墨田にあったお寺』墨田区教育委員会社会教育課、1983年3月、1頁。