明石内記
表示
この記事の主題はウィキペディアにおける独立記事作成の目安を満たしていないおそれがあります。 (2021年3月) |
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 1638年(寛永15年) |
官位 | 内記 |
主君 | 豊臣秀頼 |
氏族 | 明石氏 |
父母 | 明石全登 |
兄弟 | 小三郎、景行、カタリナ、レジイナ |
明石 内記(あかし ないき)は、安土桃山時代から江戸時代前期の武将。父は明石全登。
経歴
[編集]大坂城落城後は陸奥気仙郡高田村(現在の岩手県陸前高田市)に落ち延び、キリスト教の布教をする。内記は菊池家へ入り、伊出村で鉄砲の製造を行った。1638年(寛永15年)幕府は仙台藩に内記の捕縛を命じ、江戸への送還途中、宇都宮で病死(抹殺とも)[1]。
脚注
[編集]- ^ 角川日本姓氏歴史人物大辞典3(岩手県姓氏歴史人物大辞典)
参考文献
[編集]- 角川日本姓氏歴史人物大辞典3(岩手県姓氏歴史人物大辞典)
- 福本日南「国立国会図書館デジタルコレクション 明石全登」『大阪城の七将星』文会堂書店、1921年 。