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島津忠弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

島津 忠弘(しまづ ただひろ、1892年明治25年〉10月18日[1] - 1922年大正11年〉10月13日)は、日本華族男爵。通称は諄之介

人物・略歴

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忠弘は薩摩藩第12代藩主にして最後の藩主・島津茂久(島津忠義)の六男である。母は側室の菱刈久であった。

妻は岩倉具定の娘・季子で、季子との間に一男二女をもうけた。

のちに長男の島津斉視は家督を継いで男爵となり、久邇宮朝融王第二王女・久邇朝子を妻とする。長女の弘子は松平近義(農学博士)の妻、次女の淑子東宮女官長となった。

1895年(明治28年)には分家し、その際父の勲功により明治天皇から男爵を授けられている。

宮内省に入省し、式部職の式部官や主猟官を務めたが、1922年(大正11年)10月13日に31歳で卒去した。

若くして亡くなったため、関係する資料も非常に少ないようである。

栄典・授爵

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脚注

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  1. ^ 平成新修旧華族家系大成』上巻(霞会館、1996年)p.732

出典

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  • 『角川日本姓氏歴史人物大辞典 鹿児島県姓氏家系大辞典』(鹿児島県姓氏家系大辞典編纂委員会、角川書店1994年
日本の爵位
先代
叙爵
男爵
島津家(宗家分家)初代
1895年 - 1922年
次代
島津斉視