安達房治郎
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安達 房治郎(あだち ふさじろう、1884年〈明治17年〉8月19日[1][2] - 1968年〈昭和43年〉8月10日[3])は、日本の逓信官僚、朝鮮総督府官僚。実業家。
経歴
[編集]愛知県名古屋市出身[1]。安達知道の二男[2]。1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、高等文官試験に合格した[1]。逓信属、逓信管理局事務官、逓信書記官、高等海員審判所理事官などを歴任[1]。1920年(大正9年)、国際労働機関事務局職員となる[1]。1923年(大正12年)に帰国後は、帝都復興院物資供給課長を務めた後、朝鮮総督府土地改良部長に転じ、さらに咸鏡北道知事に就いた[1]。
1930年(昭和5年)に退官した後は、台湾電力株式会社副社長、台湾電化株式会社取締役、日本アルミニウム株式会社監査役、朝鮮蛍石株式会社社長、日本鉱業株式会社取締役、帝国石油資源開発株式会社取締役、朝鮮日産化学株式会社社長などを務めた[1][4][5]。
戦後、公職追放となった[6]。のち鎌倉市議会副議長を務めた[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 大衆人事録 1937.
- ^ a b c 人事興信所 1968, あ4頁.
- ^ 人事興信所 1969, 哀悼録1頁.
- ^ 人事興信録 1941.
- ^ 人事興信録 1943.
- ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』189頁。
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版』帝国秘密探偵社、1937年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版(上)』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(上)』人事興信所、1943年。
- 人事興信所 編『人事興信録 第24版 上』人事興信所、1968年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第25版 下』人事興信所、1969年 。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。