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大宮時元

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大宮 時元(おおみや ときもと、生年不詳 - 永正17年〈1520年〉)は、戦国時代官人。初名は頼敏。出雲国人・佐波元連の子。治部卿大宮長興の養子。官位正四位下左大史

経歴

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出雲国人・佐波元連の子であったが、大宮官務家大宮長興の子息である大宮寔包が早世したためか[1]、時元は長興の養子となった。

文明9年(1477年従五位下叙爵。文明12年(1480年大蔵少輔に任ぜられた際、頼敏から時元に改名する。のち、文明18年(1486年)従五位上、延徳3年(1491年正五位下明応3年(1494年)正月に正五位上と昇進し、同年12月に養父の長興の後押しを受けて、壬生官務家壬生雅久に代わって官務となった。

その後は、官務を務めながら、明応5年(1496年従四位下、永正13年(1516年正四位下と昇進、明応10年(1501年)には算博士を兼ねる。明応8年(1499年)に養父の長興が没したのちも、壬生家を抑えて20年以上の長きに亘って官務の地位を守った。

永正17年(1520年卒去。官務の地位は壬生家の壬生于恒が継いだ。

官歴

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歴名土代』による。

系譜

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系図纂要』による。

  • 養父:大宮長興
  • 父:佐波元連
  • 母:不詳
  • 生母不詳の子女

脚注

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  1. ^ 文正2年(1467年)従五位上に叙せられて以降の叙位任官記録なし(『歴名土代』)

参考文献

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