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大和宣旨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大和 宣旨(やまと の せんじ、生没年不詳)は、平安時代中期の歌人中納言平惟仲の娘。母は藤原忠信女。配偶者は藤原道雅、のち、藤原義忠藤原妍子に仕えた中宮宣旨(筆頭女房)。後拾遺集に3首選ばれている。

経歴

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最初の夫である藤原道雅が寛弘2年(1005年)正月に元服し、3月には父・平惟仲が大宰府で死去していることから、同年初頭に婚姻が成立した可能性が高い。しかし、後に道雅と離縁して藤原妍子の下に出仕した。時期的には寛弘8年(1011年)8月以前(妍子が女御宣旨を受ける以前)と推測される[1]

作品

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後拾遺集

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  • 涙川流るゝみをとしらねばや袖ばかりをば人のとふらむ(550)
  • はるばると野中にみゆる忘れ水たえまたえまをなげく頃かな(735)
  • 戀しさを忍びもあへず空蝉のうつし心もなくなりにけり(809)

出典

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  1. ^ 関口力『摂関時代文化史研究』、思文閣出版、2007年 ISBN 4784213449 P44-45.

外部リンク

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