大和宣旨
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大和 宣旨(やまと の せんじ、生没年不詳)は、平安時代中期の歌人。中納言平惟仲の娘。母は藤原忠信女。配偶者は藤原道雅、のち、藤原義忠。藤原妍子に仕えた中宮宣旨(筆頭女房)。後拾遺集に3首選ばれている。
経歴
[編集]最初の夫である藤原道雅が寛弘2年(1005年)正月に元服し、3月には父・平惟仲が大宰府で死去していることから、同年初頭に婚姻が成立した可能性が高い。しかし、後に道雅と離縁して藤原妍子の下に出仕した。時期的には寛弘8年(1011年)8月以前(妍子が女御宣旨を受ける以前)と推測される[1]。
作品
[編集]後拾遺集
[編集]- 涙川流るゝみをとしらねばや袖ばかりをば人のとふらむ(550)
- はるばると野中にみゆる忘れ水たえまたえまをなげく頃かな(735)
- 戀しさを忍びもあへず空蝉のうつし心もなくなりにけり(809)
出典
[編集]- ^ 関口力『摂関時代文化史研究』、思文閣出版、2007年 ISBN 4784213449 P44-45.