利用者‐会話:Su root
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ウィキペディアにようこそ!
[編集]こんにちは、Su rootさん、はじめまして! ウィキペディアの参加者の一人、Goodpapa3と申します。ウィキペディアへようこそ!
- ウィキペディアで活動する際にはガイドブックを是非ご一読ください。きっとご参考になるものと思います。
- よろしければ自己紹介してみてください。
- お隣の利用者ページは、ご自身の自己紹介の他、作業用のスペースなどとして利用することができます。
- 執筆の際には中立的な観点および著作権にご留意ください。
- 何か疑問点がありましたらWikipedia:井戸端で質問することができます。
あなたが実り多き活動をされることを楽しみにしております。--Goodpapa3 2007年2月10日 (土) 06:15 (UTC)
- Goodpapa3 さん、はじめまして。利用者ページに自己紹介をかきました。
- 加筆編集に参加するときの自分の気持ちを書きました。
- ぼくはいろんな本をよんで時系列で書き出し考えを整理してメモに書き出し、しばらく放置して読み直してから自分の言葉で書きました。これからもそうします。
- 自分の意見や予測、仮定は削除しました。複数の当事者の記述を集め、複数の角度からみて他の人も納得できる事典に書けることだけを出典参照ページ示して中立的に書くように努力しました。これからもそうします。書くときにいつも困ることは、小説家や記者の書いた作品はストーリー中心にかかれていて事実として引用しにくいこと。著作権を守るので、原文をそのまま引用できないので参考にした参照文献リストが延々と長くなってしまいます。
- 事典の記事を書いたり編集したりするときは、書くことが事実であると自信もつために証拠確認を心がけています。書くための確認資料あつめのため古本屋さんによく通うようになって、たくさんの本が集まりました。最近10~20年に出版された本の記事や写真にはつかいまわされた2次、3次的資料、記述に気付くことがあります。なかには失礼なコメントつけてる戦記評論家もみかけましたし、個人攻撃のような小説作家本にも出会いました。また、あらたに信頼をうけて公表された写真や本もすこしでているのがわかりました。古本には、旧軍関係者でなくなられた方々の蔵書だったと推測される戦後まもなく出版された本も多く見ました。例えば連合艦隊司令長官直属時代1942年秋東京湾、第3戦隊戦艦金剛、榛名の第2第4砲塔上面日の丸、艦橋頂部トップが真っ白に塗装されている写真は、入手した本から、戦中は偵察機、戦後は自衛隊司令古川明提供の写真集 連合艦隊(出版協同社、1960年1月1日発行)の引用と考えています。
- 証拠確認では特に、動画実写フィルム、写真、従軍していた当時者たちの回想記録を尊重しています。人の姿、光と夜、戦闘機の音や撃墜され落ちてゆく飛行機の発するエンジン音、どんな状態をコントロールを失った機体と言っているのか(制御不能に垂直に加速してプロペラエンジンが湾内を大音響を発しながら水中に落ちる)、動きが一目でわかりました。特に証拠として信用できる動画実写フィルムは、川崎市市民ミュージアムのビデオライブラリが廃止される前に通って、視聴できた日本ニュース多数をくりかえし見て確認記憶しました。たとえばニューギニア島の密林ではヒルや現地の灌木の他にだれが持ち込んだのか竹も野生化し多く繁茂し行軍が厳しかったと知りました。近年DVDに編集収録された1944年初頭のラバウル迎激戦大勝利のニュースフィルムからは編集でカット削除されている場面、ラバウル湾上空で低空で有名な旋転戦法をして戦っている零戦が撮影されているのをみて確認できてびっくりした記憶があります。1944年初めのラバウル東飛行場は戦闘機の駐機整備スペースにはまだ鉄板敷きが残っていたのも確認できました。
- 日本のミリタリー分野の記事には参照文献乏しいものもあり、個人意見や戦記ストーリー的なところもあって、記事の体裁は整ってきれいだけれど、書かれていることに疑問におもう記事もあります。
- Wikipedia の特に第2次世界大戦の日本の記事では、同じことを書いた複数のページがあって、片方がWikipedia のミリタリープロジェクト(?)に正式登録されたページらしいのですが、文字リンクつけるときに戸惑うことがあります。
- 学校では理数系や電子物理系の勉強が好きだったので科学知識は理解しています。物理的現実離れな文学的表現には気付いてしまいます。
- ガイドブックは参考によみました。Wikipedia を読み参加することを楽しんでいます。
- よろしくおねがいします。