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利用者‐会話:153.230.7.149

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あの、ちょっとそれはおかしいんじゃないでしょうか。ニュースサイトの記述にないとはどういうことですか。きちんとサイト内にツイッターの文章が引用されていますよ。--みしまるもも会話2016年6月11日 (土) 12:11 (UTC)[返信]

出典として示されたlivedoor ニュースの記事には東浩紀のリンクが貼られていて、そのリンク内では確かに「すべてが茶番」という文言も書いてありますが、そこは記事の本文では全く触れられていないので、蛇足だと判断せざるを得ないです。そもそも、存命人物の記事で否定的な記述を加筆することにそこまで執着する必然性があるとは思えません。今の状態で十分なのではないですか。--153.230.7.149 2016年6月11日 (土) 12:20 (UTC)[返信]

全く触れられていないというのは間違いでしょう。きちんと全文が引用されており、その上でニュース記事が成り立っていますので、その引用の中の発言をWikipediaで採用して要約して加えることはなんら違反行為でも何でもありません。「すべてが茶番」というのが東浩紀の意見の主旨なので、それを記述することを止めろという方が正当な理由ではありません。--みしまるもも会話2016年6月11日 (土) 12:40 (UTC)[返信]

「すべてが茶番」という文言については、livedoor ニュースの記事の本文内で引用されているわけではなく、その文言を含むTwitterへのリンクが貼られているだけです。引用されているのは「候補になると『もし受賞したらお受けするつもりはありますか』と確認の電話がかかってきます」「こういう『芸風』、かっこ悪いからやめればいいのに」「彼のあの発言が、何十年も繰り返されてきた『芸風』」の3つです。--153.230.7.149 2016年6月11日 (土) 12:43 (UTC)[返信]

いいえ、リンクではなく、ツイッターの「全文」が記載されております。こういう場合も「引用」といいますので。--みしまるもも会話2016年6月11日 (土) 12:49 (UTC)[返信]

Twitterのリンクがそのまま貼られているだけで、「すべてが茶番」の文言が記事の本文内で一切触れられていない事実には変わりありません。ウィキペディアの利用者が好き勝手に(出典の本文内で触れられていない些末な箇所を)「採用して要約して加える」のは独自研究となるおそれがあります。存命人物の記事における否定的な記述なら、より慎重な判断が求められてしかるべきだと思います。
何が重要かを判断するのはウィキペディアの利用者ではなく、信頼できる第三者の情報源です。みしまるももさんは「『すべてが茶番』というのが東浩紀の意見の主旨」と感じたそうですが、livedoor ニュースの記者はその箇所を蛇足だと判断したから「すべてが茶番」には全く触れなかったのでしょう。出典の本文で「すべてが茶番」の文言に全く言及されていない以上、これをウィキペディアの記事に記載すべき理由はありません。--153.230.7.149 2016年6月11日 (土) 13:37 (UTC)[返信]

リンクというのは単にurlが貼られているということですから、「リンク」ではなく「全文の記述が記載」されております。あなたは記者の記述だけを「本文」としていますが、この出典内で「東浩紀の発言の全文が記載」されている限り、この記者がこれをあえてそのままの原文を損なうことなく引用として採用して紹介しているということになります。

だからあなたが「livedoor ニュースの記者はその箇所を蛇足だと判断したから」と言うのは、それこそあなたの独自研究です。記者はきちんと東浩紀の発言の「全文を引用」しておりますので、「蛇足だと判断」したことには論理的になりえません。

この出典内で紹介されている東浩紀の発言は、検証可能性を満たしており、なおかつ信頼性のあるソースからの紹介となっておりますので、そこから「すべてが茶番」という東浩紀の発言を、Wikipediaの編集上で採用することは、何ら違法行為でもなく、方針違反にもなりません。--みしまるもも会話2016年6月11日 (土) 23:12 (UTC)[返信]