奈多宮
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(八幡奈多宮から転送)
奈多宮 | |
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所在地 | 大分県杵築市大字奈多229 |
位置 | 北緯33度25分43.388秒 東経131度42分22.604秒 / 北緯33.42871889度 東経131.70627889度座標: 北緯33度25分43.388秒 東経131度42分22.604秒 / 北緯33.42871889度 東経131.70627889度 |
主祭神 |
比売大神 応神天皇 神功皇后 |
社格等 | 旧県社 |
創建 | (伝)神亀6年(729年) |
本殿の様式 | 八幡造 |
別名 |
八幡奈多宮 奈多八幡宮 |
例祭 | 4月5日 |
奈多宮(なだぐう)は、大分県杵築市に鎮座する神社である。旧社格は県社。八幡奈多宮(はちまんなだぐう)、奈多八幡宮(なだはちまんぐう)とも呼ばれる。
概要
[編集]奈多海岸(国東半島東海岸)のほぼ中央に位置する。宇佐神宮と関係の深い神社であるが、正確な創建の時期は不明である[1]。伝承では宇佐神宮の別宮として、神亀6年(729年)に宇佐神宮大宮司であった宇佐公基により創建されたという。主祭神は比売大神、応神天皇、神功皇后。
宇佐神宮の旧神体とされる木造僧形八幡神坐像と2躯の木造女神坐像の三神像を収蔵しており、これら三神像は国の重要文化財に指定されている。このことが示すように当社と宇佐神宮との関係は深く、かつて宇佐神宮で行われていた6年毎の行幸会では、新しい神体の薦枕が宇佐宮本殿(上宮)に納められると、上宮の古い薦枕は宇佐神宮の御炊殿(下宮)に納められ、下宮の古い薦枕はいったん奈多宮に納められた後、海に流されたとされる。
また、中世においては豊後国守護の大友氏との関係が深く、八幡奈多宮の大宮司・奈多鑑基は大友氏の寺社奉行となり、その娘奈多夫人は大友義鎮(宗麟)の正室となって、嗣子の大友義統を生した。
奈多海岸の沖合約300mにある市杵島という小島は八幡奈多宮の元宮である。比売大神は、最初、市杵島に降臨したと伝えられており、岩礁の上には小鳥居が建てられている。この鳥居は2020年9月に台風10号のため流失したが、年内に再建されている[2]。
沿革
[編集]- (伝)神亀6年(729年) - 宇佐公基により創建[3]。
- 永延2年(989年) - 一条天皇より、「日本最上八幡初中後廟」の額を賜る[3]。
- 慶長元年(1596年) - 慶長豊後地震の津波によって社殿及び古記録を喪失する[4]。
- 寛永4年(1627年) - 細川忠興により社殿が再建される[5]。
- 明治14年(1881年) - 現在の本殿を造営[6]。
文化財
[編集]- 重要文化財(国指定)
- 木造僧形八幡神坐像(1躯)・木造女神坐像(2躯)[7]
- 大分県指定有形文化財
- 八幡宇佐宮御託宣集
- 八幡縁起(4点)
- 八幡奈多宮縁起箱
- 奈多宮木造神像(6躯)
- 大太刀
- 陣道面
- 大分県指定無形民俗文化財
- 杵築市指定重要文化財
- 楼門
脚注
[編集]- ^ 『日本歴史地名大系 大分県の地名』(平凡社、1995)、p.462
- ^ “杵築市の八幡奈多宮、沖合鳥居を再建 台風で流失、寄付やCFで復活実現”. 大分合同新聞. (2020年12月14日). オリジナルの2020年12月15日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b “八幡奈多宮の創建”. 八幡奈多宮 (2017年5月4日). 2017年5月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月30日閲覧。
- ^ “大津波によって奈多宮壊滅する。”. 八幡奈多宮 (2017年1月23日). 2020年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月30日閲覧。
- ^ “楼門前の鳥居”. 八幡奈多宮 (2018年12月19日). 2020年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月30日閲覧。
- ^ “奈狩江八幡宮 本殿・楼門”. おおいた木造建築ファイル. 大分大学工学部福祉環境工学科建築コース木質構造研究室. 2020年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月30日閲覧。
- ^ “杵築地域 指定文化財一覧”. 杵築市. 2019年2月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月30日閲覧。
- ^ “杵築市の八幡奈多宮でユーモラスに御田植祭”. 大分合同新聞. (2012年4月6日). オリジナルの2012年5月18日時点におけるアーカイブ。
- ^ “奈多宮の御田植祭”. 九州電力. 2012年6月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月30日閲覧。