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上田三三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 上田 三三 七段
名前 上田 三三
生年月日 (1893-01-25) 1893年1月25日
没年月日 (1972-08-26) 1972年8月26日(79歳没)
プロ入り年月日 1931年[注 1]
引退年月日 1947年(54歳)
出身地 大阪府大阪市
所属 日本将棋連盟(関西)
→将棋大成会(関西)
→日本将棋連盟(関西)
師匠 木見金治郎九段
段位 七段
順位戦最高クラス C級(1期)
2022年2月21日現在
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上田 三三(うえだ さんぞう、1893年1月25日 - 1972年8月26日)は、将棋棋士。七段。木見金治郎九段門下。大阪府大阪市出身。

経歴

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1931年に四段に昇段。戦後の1946年順位戦C級クラスに参加し、1勝13敗で降級、引退。

昇段履歴

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  • 1931年00月00日:四段
  • 1947年05月10日:五段(第1期順位戦 C級 成績下位16名)
  • 1947年00月00日:引退
  • 1950年04月01日:六段(棋界に対する多年の功労)
  • 1969年11月03日:七段(表彰感謝の日表彰)

主な成績

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在籍クラス

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順位戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[3]
名人 A級 B級 C級 0
1組 2組 1組 2組
1946 1 四・五段戦
順位29位
1-13
(不戦敗7)
1947 (全体58位/C級)
(五段昇段)
不参加/引退
順位戦の 枠表記 は挑戦者。
右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位
( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )

脚注

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注釈

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  1. ^ ここでは便宜上、四段昇段日をプロ入り日として扱うが、上田のプロ入り当時は初段昇段時から専門棋士として扱われていたとされる。昭和9年(1934年)に大阪で升田幸三が初段になった頃までは、「初段からが専門棋士」だった[1]。その頃、奨励会ができた(東京は昭和3年(1928年)、大阪は昭和10年(1935年))ことをきっかけに、「(奨励会を卒業して)四段からプロ棋士」という制度が確立されていった[2]

出典

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  1. ^ 東公平『升田幸三物語』(日本将棋連盟)P.36
  2. ^ 加藤治郎原田泰夫田辺忠幸『証言・昭和将棋史』(毎日コミュニケーションズ)P.10、P.215-220
  3. ^ 名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。

関連項目

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