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ペドロ・フェリシアーノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ペドロ・フェリシアーノ
Pedro Feliciano
ニューヨーク・メッツでの現役時代
(2009年6月18日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 プエルトリコの旗 プエルトリコ自治連邦区・リオ・ピエドラス英語版
生年月日 (1976-08-25) 1976年8月25日
没年月日 (2021-11-08) 2021年11月8日(45歳没)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1995年 MLBドラフト31巡目
初出場 MLB / 2002年9月4日
NPB / 2005年4月17日
最終出場 MLB / 2013年9月28日
NPB / 2005年9月21日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム プエルトリコの旗 プエルトリコ
WBC 2006年2009年

ペドロ・フアン・フェリシアーノ・モリーナPedro Juan Feliciano Molina, 1976年8月25日 - 2021年11月8日)は、プエルトリコリオ・ピエドラス英語版出身の元プロ野球選手投手)。

ニューヨーク・メッツの選手としてはジョン・フランコに次ぐ、球団2位となる484試合登板の記録を持つ[1]

経歴

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プロ入りとマイナー時代

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1995年MLBドラフト31巡目(全体863位)でロサンゼルス・ドジャースから指名され、入団。最初の4年間はルーキーリーグやA級で投げていたが、1999年は肩痛に苦しみ、シーズンを棒に振る。

2000年からはAA級・AAA級での登板もあった。

2001年10月15日にFAとなり、11月19日にシンシナティ・レッズと契約した。

メッツ時代

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2002年8月15日にショーン・エステスとのトレードで、ブレイディ・クラーク英語版と金銭と共にニューヨーク・メッツへ移籍した。9月4日にメジャーリーグ初登板を果たす。オフの10月11日にウェイバー公示を経てデトロイト・タイガースへ移籍した。12月16日に放出された。

2003年4月3日にメッツと契約したが、以降2年間はAAA級ノーフォーク・タイズでの登板が主になり、メジャーに定着するまでは行かなかった。

ソフトバンク時代

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2005年1月24日に福岡ソフトバンクホークスに入団。入団当初は制球に難があり、開幕一軍はならなかったが、二軍でのフォーム改善により制球が安定、その後一軍に上がってきてからは左のリリーバーとして活躍したものの、シーズン中盤以降は負け試合での登板やワンポイントリリーフがほとんどで、当初期待された活躍はできず、オフに戦力外通告を受け解雇された。もっとも、WHIPは1.16と非常に優秀な数字を残していた。

メッツ復帰

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2006年2月28日にメッツに復帰。シーズン開幕前の3月には第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)プエルトリコ代表に選出された。シーズンではは主に中継ぎとして活躍し、同年の地区優勝に貢献。

2007年も中継ぎとして活躍し、同年の地区2位に貢献した。

2008年は86試合に登板し、両リーグ最多登板を記録した。

ニューヨーク・メッツでの現役時代
(2009年5月31日)

2009年はシーズン開幕前の3月に第2回WBCプエルトリコ代表に選出され、2大会連続2度目の選出を果たした。シーズンでは88試合に登板し、2年連続で両リーグ最多登板を記録した。

2010年は92試合に登板し、3年連続で両リーグ最多登板を記録した。オフの11月1日にFAとなった。

ヤンキース時代

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2011年1月3日に球団が2013年の選択権を持つ2年契約総額800万ドルでニューヨーク・ヤンキースへ移籍した。しかし、肩痛を再発させ、同年は登板することは無かった。

2012年も登板することは無かった。結局、ヤンキースでは2年間で登板することもなく、オフの11月3日にFAとなった。

ヤンキース退団後

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2013年1月21日に古巣・メッツとマイナー契約を結んだ[2]。この年に遺伝性の心臓病が発覚[1]。以降、悩まされることになる[1]

オフの10月31日にFAとなった。

2014年5月25日にセントルイス・カージナルスとマイナー契約を結んだ[3]

2015年2月4日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結んだ。

死去

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2021年11月8日に死去[1][4]。45歳没。死因は長年患っていた遺伝性の心臓病であった[1]。前日に家族とジェットスキーに興じており、その翌日の就寝中に死亡しているところを発見されたという[5]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2002 NYM 6 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 26 6.0 9 0 1 0 0 4 0 0 5 5 7.50 1.67
2003 23 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 218 48.1 52 5 21 3 3 43 3 1 21 18 3.35 1.51
2004 22 0 0 0 0 1 1 0 2 .500 82 18.1 14 2 12 0 1 14 1 0 12 11 5.40 1.42
2005 ソフトバンク 37 0 0 0 0 3 2 0 11 .600 157 37.0 30 5 13 2 6 36 0 0 17 16 3.89 1.16
2006 NYM 64 0 0 0 0 7 2 0 10 .778 256 60.1 56 4 20 1 3 54 1 0 15 14 2.09 1.26
2007 78 0 0 0 0 2 2 2 18 .500 275 64.0 47 3 31 4 5 61 1 1 26 22 3.09 1.22
2008 86 0 0 0 0 3 4 2 21 .429 237 53.1 57 7 26 8 3 50 2 0 24 24 4.05 1.56
2009 88 0 0 0 0 6 4 0 24 .600 242 59.1 51 7 18 4 0 59 2 1 25 20 3.03 1.16
2010 92 0 0 0 0 3 6 0 23 .333 280 62.2 66 1 30 6 6 56 1 0 24 23 3.30 1.53
2013 25 0 0 0 0 0 2 0 5 .000 51 11.1 11 1 6 2 1 9 1 0 5 5 3.97 1.50
MLB:9年 484 0 0 0 0 22 21 4 103 .512 1667 383.2 363 20 165 28 22 350 12 3 157 142 3.33 1.38
NPB:1年 37 0 0 0 0 3 2 0 11 .600 157 37.0 30 5 13 2 6 36 0 0 17 16 3.89 1.16
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

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NPB

背番号

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  • 55(2002年 - 2004年、2013年)
  • 28(2005年)
  • 25(2006年 - 2010年)

代表歴

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脚注

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出典

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  1. ^ a b c d e Anthony DiComo (2021年11月9日). “Former Mets lefty Pedro Feliciano dies at 45” (英語). MLB.com. 2021年11月11日閲覧。
  2. ^ Mets sign reliever Feliciano to Minors deal
  3. ^ Minor Moves: Feliciano, Falu, Sandoval, Gimenez - MLB Trade Rumors
  4. ^ Joe Pantorno (2021年11月8日). “Former Mets reliever Pedro Feliciano dies at 45” (英語). amny.com. https://www.amny.com/sports/former-mets-reliever-pedro-feliciano-dies-at-45/ 2021年11月11日閲覧。 
  5. ^ 元ソフトバンク投手のフェリシアーノさん急死、45歳 メッツなどでプレー”. 日刊スポーツ. 日刊スポーツ新聞社 (2021年11月9日). 2021年11月11日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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