フィリップ・ファールバッハ2世
表示
フィリップ・ファールバッハ2世 Philipp Fahrbach II | |
---|---|
フィリップ・ファールバッハ2世。フランス風に「Philippe」と表記されている。 | |
基本情報 | |
生誕 | 1843年12月16日 |
出身地 | オーストリア帝国、ウィーン |
死没 |
1894年2月15日(50歳没) オーストリア=ハンガリー帝国、ウィーン |
ジャンル | ロマン派音楽 |
職業 | 作曲家、指揮者 |
フィリップ・ファールバッハ2世(ドイツ語:Philipp Fahrbach der Jüngere, 1843年12月16日 - 1894年2月15日)は、オーストリアの作曲家・指揮者。
ウィンナ・ワルツの作曲家として有名だったフィリップ・ファールバッハ1世の息子で、ヨーゼフ・ファールバッハ、フリードリヒ・ファールバッハ、アントン・ファールバッハの甥。ファールバッハ家の最後の音楽家で、一族の中で最も親しまれている作品が多い。
なお、欧米ではふつう「フィリップ・ファールバッハ・ジュニア(Philipp Fahrbach Jr.)」と言われる。
概要
[編集]父フィリップ・ファールバッハ1世の影響を受けて育ち、11歳のときに指揮者としてウィーンとブダペストで公衆の前に立った。やがて父のオーケストラを引き継ぎ、ウィンナ・ワルツの作曲家・指揮者として活躍した[1]。その名はウィーンのみならずパリやマドリードにまで知られており[1]、彼の作品の多くは、まず最初にフランスの出版社で楽譜が出版されたという。
「ワルツ王」として知られるヨハン・シュトラウス2世のよきライバルであった。そのワルツ王の弟ヨーゼフ・シュトラウスとは親交があったと言われ、彼が没した後に『ヨーゼフ・シュトラウスの想い出』というワルツを捧げている。
ちなみに、今のところウィーンフィル・ニューイヤーコンサートに彼の作品が採り上げられたことはない。
作品
[編集]ワルツ
[編集]- 『ヨーゼフ・シュトラウスの想い出』(Erinnerung an Josef Strauss)op.53
- 『ウィーンの心』(Wiener Gemüth)op.144
- 『ウィーンの情景』(Wiener Lebensbilder)op.213
ポルカ
[編集]- 『セレナード・ポルカ』(Standchen-Polka)op.47
- 『66番目のポルカ』(Sechsundsechz’ger)op.82
- 『ペスト将校カジノ・ポルカ』(Pesther Offiziers-Casino Polka)op.83
- 『小人のポルカ』(Lilliput-Polka)op.120
- 『カーレンベルクの村で』(Im Kahlenbergerdörfel)op.340
ポルカ・シュネル
[編集]- 『休暇にて』(Auf urlaub)op.66
- 『逃げるが勝ち!』(Reissaus!)op.121
- 『日曜日の騎手』(Sonntagsreiter)op.339
ポルカ・マズルカ
[編集]- 『電話』(Telephon)op.128
ギャロップ
[編集]- 『コウノトリ』(Storchenschnäbel)op.149
- 『総動員ギャロップ』(Landsturm)op.250
行進曲
[編集]- 『ハンガリー風行進曲』(Marsch Hungarese)op.98
- 『ペルシャ風行進曲』(Marche Persane)op.135
- 『フランツ・フェルディナント』(Franz Ferdinand)op.333
出典
[編集]参考文献
[編集]- 加藤雅彦『ウィンナ・ワルツ ハプスブルク帝国の遺産』日本放送出版協会〈NHKブックス〉、2003年12月20日。ISBN 4-14-001985-9。