ノート:軍国美談
表示
軍事教材
[編集]軍事教材とは何のことか分かりません。明治以来の日本の国定教科書に軍事教材があったのでしょうか?昭和に行われた軍事教練に教科書があったのかどうか、もしあったのならば軍事教練の教科書に軍国美談というものが記述されていたのか教えていただけたら幸いです。現状では軍事教材など耳慣れない用語が用いられているので中立的な記述とは思えません。--Chichiii 2011年1月1日 (土) 14:21 (UTC)
- 私のノートに同趣旨のコメントをいただいておりましたのでそちらに回答しています。--Sugitaro 2011年1月1日 (土) 14:24 (UTC)
- また教科書掲載について出典を付記いただいていますが、『軍国美談と教科書』によると例えば「感心な母」は第一期国語、「水師営の会見」は第二期国語に使われているということですので「第四期修身」に限定するのは不適切と思います。ご確認のほどよろしくお願い致します。--Sugitaro 2011年1月1日 (土) 14:37 (UTC)
- 国語という教科に記述されたものを軍事教材として記述するのはおかしいと思います。当時は軍事のことを国語と呼称していたのでしょうか?軍事教練の教科書であれば軍事教材として理解できます。--Chichiii 2011年1月1日 (土) 14:46 (UTC)
- おかしいかどうかはさておき、「軍事教材」という語が分かりにくいのはたしかのようですね。また修身、国語の他に唱歌にも使われていますので、単に「教材」と書くことにしてはどうでしょうか。(「学校教科書(国定教科書)などの教育資料の教材として使われることも多かった。」とする)--Sugitaro 2011年1月3日 (月) 13:07 (UTC)
- シンプルにするのであれば「教育資料の」という語も分かりにくいのでいらないと思います。--Chichiii 2011年1月3日 (月) 13:15 (UTC)
- ありがとうございます。ご指摘を反映して冒頭部を整理してみました。出典については参考文献節に移させていただきました。おかしいところがあったら直して下さい。--Sugitaro 2011年1月4日 (火) 11:57 (UTC)
- ここで俎上に載らなかった冒頭部の部分ですが、修身を除去され軍国主義とだけ記述されたので[1]、当該部分は全削除しました。理由は、本項目で記述されているエピソードは新聞等のメディアの商業目的で喧伝されたこと、道徳教育などでも利用されたこと、などから、軍国主義の発揚とだけ記述するのは明らかに偏向した記述であるとの印象が持たれるからです。--Chichiii 2011年1月5日 (水) 15:12 (UTC)
- ありがとうございます。ご指摘を反映して冒頭部を整理してみました。出典については参考文献節に移させていただきました。おかしいところがあったら直して下さい。--Sugitaro 2011年1月4日 (火) 11:57 (UTC)
- うーん、記事名を「軍国美談」としているのは、軍国主義に関わるものについての記事にしようとしているわけで、その中には修身に使われたものもそうでなかったものもあるし、「単なる愛国実話」は取り上げるつもりはないのですが。--Sugitaro 2011年1月5日 (水) 15:31 (UTC)
- 冒頭ではないところに軍国主義との関連を記述する分には問題はないと思われます。同様に商業主義・徳育教育の関連についても記述されればバランスが取れると思います。--Chichiii 2011年1月5日 (水) 15:39 (UTC)
- こういう記事の場合、まず最初の文で対象の原義的な意味を書き、次に補足的に社会的な意味・位置づけなどを書き、それから本論として発生の経緯や経過、その背景や目的といったことを順に書いていくのが普通の方法なんじゃないでしょうか。ですから「商業主義・徳育教育の関連について」は、「美談の発生と影響」以降の節に私の参照した出典で分かる範囲で記述しており、もし不十分と思われる点があれば加筆していただけるとありがたいです。--Sugitaro 2011年1月8日 (土) 14:42 (UTC)--Sugitaro 2011年1月8日 (土) 14:47 (UTC)
- 最初に原義的な意味を書く必要があるからこそ軍国主義という観念的な言葉で断定的に書いてしまうことに懸念があると思うのです。そういった点では愛国談話ならば全てを包含していると思います。ただ、軍事以外についても含まれてしまう恐れがありますから、愛国軍事談話とでもしてみてはどうでしょう。--Chichiii 2011年1月8日 (土) 21:00 (UTC)
- こういう記事の場合、まず最初の文で対象の原義的な意味を書き、次に補足的に社会的な意味・位置づけなどを書き、それから本論として発生の経緯や経過、その背景や目的といったことを順に書いていくのが普通の方法なんじゃないでしょうか。ですから「商業主義・徳育教育の関連について」は、「美談の発生と影響」以降の節に私の参照した出典で分かる範囲で記述しており、もし不十分と思われる点があれば加筆していただけるとありがたいです。--Sugitaro 2011年1月8日 (土) 14:42 (UTC)--Sugitaro 2011年1月8日 (土) 14:47 (UTC)
- 冒頭ではないところに軍国主義との関連を記述する分には問題はないと思われます。同様に商業主義・徳育教育の関連についても記述されればバランスが取れると思います。--Chichiii 2011年1月5日 (水) 15:39 (UTC)
- シンプルにするのであれば「教育資料の」という語も分かりにくいのでいらないと思います。--Chichiii 2011年1月3日 (月) 13:15 (UTC)
- おかしいかどうかはさておき、「軍事教材」という語が分かりにくいのはたしかのようですね。また修身、国語の他に唱歌にも使われていますので、単に「教材」と書くことにしてはどうでしょうか。(「学校教科書(国定教科書)などの教育資料の教材として使われることも多かった。」とする)--Sugitaro 2011年1月3日 (月) 13:07 (UTC)
- 間が空いてしまってすいません。造語を使うのはよろしくないと思います。具体的な記述にしてみました。--Sugitaro 2011年1月30日 (日) 11:06 (UTC)
- 平時、戦時を問わず修身教育などで使用されていましたので、戦争遂行のためという記述は明らかに恣意的なので除去しました。--Chichiii 2011年1月31日 (月) 13:17 (UTC)
- 国語という教科に記述されたものを軍事教材として記述するのはおかしいと思います。当時は軍事のことを国語と呼称していたのでしょうか?軍事教練の教科書であれば軍事教材として理解できます。--Chichiii 2011年1月1日 (土) 14:46 (UTC)