ノート:章炳麟
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章炳麟は記事の文章が膨大でありながら、脚注を使っての出典の明記が全くされておらず、編集者の主観や感想・想像で書いていると思われる部分が記事内に多々あります。 本当に参考文献に記載されているのならば、部分ごとに脚注を使って明記するべきだと思うのですが? 今の状態では記事全体の信憑性に疑問符がつきます。
あとこれも編集者の主観や感想・想像からなのか、大言壮語的な記述が多いのも問題です。 --8wgs35zc(会話) 2012年7月7日 (土) 12:39 (UTC)
上記2012年7月7日 (土) 12:39 (UTC)の問題提起を何度も書き直してすみません。何分、ノートページに書き込むのが初めてなもので、どのような文章で問題提起すればちゃんと意図が伝わるのか悩み、結果的に考えすぎて何度も編集してしまいました。ただ、書き直したとはいえ、やや言い回しや表現の仕方を変えただけで、私の問題提起の柱(主観や感想・想像で記事を書かない、脚注を使っての出典の明記、大言壮語的な記述を避ける)は当初からほぼ変わっておりませんので、影響はないと思います。これ以降(2012年7月7日 (土) 16:57 (UTC)以降)は上記2012年7月7日 (土) 12:39 (UTC)の発言を編集することはないです。 --8wgs35zc(会話) 2012年7月7日 (土) 16:57 (UTC)
複数の問題の貼付について
[編集]- 2012年5月1日 (火) 13:44の単発アカウントによる記述の改変
- 2012年5月2日 (水) 12:20の立項者のDokutouさんによるリバート
- 2012年7月7日 (土) 13:17の単発アカウントによる記述の改変とテンプレートの貼付
- 2012年7月7日 (土) 13:38の私によるテンプレートの編集
- 2012年7月7日 (土) 20:41の単発アカウントによる記述の改変とテンプレートの貼付
- 2013年5月6日 (月) 16:35の単発アカウントによる記述の除去
- 2013年5月9日 (木) 15:11の可変IPによる記述の復帰とテンプレートの除去
- 2013年11月4日 (月) 11:54の立項者によるテンプレートの除去
- 2013年12月31日 (火) 22:20のアカウント所持者による記述の改変と複数の問題テンプレートの復帰(この時に出典の明記とCleanupが追加されているようです
- 2014年1月1日 (水) 16:24の前のアカウント所持者による記述の改変
- 2014年9月27日 (土) 00:39の可変IPによるテンプレートの除去
2年ぶりにこの記事を拝見しましたが、2012年から2年以上にわたって上記のような記述の改変とテンプレートの貼付、それに対するリバートが断続的に繰り返されている悲しい状態になっていますね。利用者:8wgs35zc(会話 / 投稿記録)さんを除いてこのノートページで編集の明確な意図を示した方がいない対話が成立していない状況が長らく続き、編集頻度の減少、単発アカウントの使用者であること、可変IPの使用者であること、無期限ブロック者といった理由で上記の編集を行ったユーザーに対話を促すことが困難な状態であるため、テンプレートの貼付についての意見をコメント依頼で求めました。
私自身は2012年7月7日 (土) 13:17当時の版を見、節のタイトル、「であろう」「分かる」「言えよう」「相互比較しつつアウトラインを描く。」「あえて整理すれば以下の点が挙げられる。」「思われる」「疑いない」といった誰のものか判別できない意見・分析、随所に見られる大言壮語的な表現から、8wgs35zcさんのノートでの書き込みと同じ感想を持ちました。2014年10月17日 (金) 01:34の版を一読しましたが、いくつか表現は変更されていても「検証可能性を満たしていないために」「研究者の見解とそうでないものの判別ができない」状況は変わっていないように感じました。さらにWP:AWWで例示されている表現が多用されていることから、「参照方法」「独自研究」「言葉を濁さない」複数の問題を冒頭に貼付するべきだと考えます。反対がなければ、1か月くらいを目処に複数の問題の貼付を予定していますが、それでも問題の改善を伴わないテンプレートの除去が続くのであれば保護依頼などを出したほうがいいかなと思っています。
もひとつ、章炳麟に貼付されたテンプレートの除去のみを行う可変IP(IP:180.198.176.160(会話 / 投稿記録)、IP:180.199.11.57(会話 / 投稿記録))が編集の要([1])と利用者:Dokutou(会話 / 投稿記録)さんが別の記事のノートページ(ノート:胡適)でそれぞれおっしゃられている、出典を示す責任を放棄した検証可能性を軽視する意見には同意できないことを加えておきます。--オオミズナギドリ(会話) 2014年12月3日 (水) 13:55 (UTC)
- 言うまでもなくこの記事は出典が不十分です。利用者:Dokutou(会話 / 投稿記録)さんは活動歴をみるところ、中国史に相当詳しいのだろうというのは分かりますが、それでもこの方の現実でのお立場が不明である以上、出典を逐一明記しない概説書的な記述を受け入れるわけにはいかないでしょう。勝手ながらテンプレートをつけました。--118.10.126.116 2014年12月24日 (水) 23:33 (UTC)
- コメントありがとうございます。記事の末尾に参考文献が提示されているため、{{出典の明記}}よりも、参考文献が列挙されていても脚注形式で記述の典拠を示していない記事に貼付するTemplate:参照方法の方が適当かなと考えています。あと、たとい項目の大部分を執筆された方が中国史の専門家であっても、ウィキペディアの編集に参加する以上検証可能性の方針は適用されるんじゃないかなと思います。--オオミズナギドリ(会話) 2014年12月26日 (金) 13:25 (UTC)
報告 コメント依頼に掲載して1か月経過した後も反対意見が現れなかったため、合意が形成されたと見なして複数の問題を復帰させました。--オオミズナギドリ(会話) 2015年1月10日 (土) 06:38 (UTC)