ネルー・ガーンディー・ファミリー
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ネルー・ガンディー・ファミリーは、主にインド国民会議(INC)を担ってきたインドの著名な政治家の家系である。
概要
[編集]1947年のイギリス支配からの独立以降の最初の65年のうち、合わせて約37年間にわたって首相を務めてきた[1]。ザ・ガーディアン紙は同じく悲劇に彩られたケネディ家と対比し、「ネルー・ガンディーのブランドは世界で他に類を見ないほどである」と評した[2]。
ジャワハルラル・ネルーの娘、インディラ・ネルーはフィローズ・ガンディー(マハトマ・ガンディーとは血縁関係は無い)と結婚した後に、インディラ・ガンディーと名前を変更した[3]。
家系
[編集]第一世代
[編集]- ガンガダル・ネルー (1827–1861) - ムガル帝国配下のデリー駐在コートワール(都市長官)を務めたが、この職は1857年に勃発したインド大反乱によって廃止された[4]。家族と一緒に逃亡した先のアグラで1861年2月に死亡した[5][6]。
第二世代
[編集]- ナンドラル・ネルー (1845–1887) - ガンガダルの次男でモティラルの兄[7]。ラージプータナーのケトリに位置する藩王国で1862年からディーワーンを務めたが、1870年に辞任した[8]。ケトリを去った後に法律を勉強して弁護士になった[9]。
- モティラル・ネルー (1861–1931) - ガンガダルの末子で父の死から3ヵ月後の1861年5月に出生した[5][6]。著名な弁護士かつインド国民会議(INC)議長(インド国民会議議長の一覧)を二度務めたインド独立運動の代表的な指導者だった[6]。
第三世代
[編集]- ブリジラル・ネルー (1884–1964) - ナンドラルの息子で、ハリ・シンが統治していた時期にジャンムー・カシミール藩王国の財務大臣を務めた[10]。
- ラメシュワリ・ネルー (1886–1966) - ブリジラルの妻で、女性の権利向上を目的とした全インド女性会議(AIWC)の共同設立者の一人だった[11]。
- ジャワハルラル・ネルー (1889–1964) - モティラルの息子で[6]、1930-40年代のインド独立運動における最も代表的な指導者の一人だった[12]。1947年8月15日に独立したインドの初代首相に就任し、亡くなる1964年5月27日まで務めた[12]。
- カマラ・ネルー (1899–1936) - ジャワハルラルの妻(インディラの母)で、自由を求める闘争に参加して二度逮捕された[13]。長い間結核に苦しみ、1936年2月28日に若くして亡くなった[13]。
- ヴィジャヤ・ラクシュミ・パンディット (1900–1990) - ジャワハルラルの妹(モティラルの長女)で、インド独立運動に参加して三度投獄され、独立後は外交官として国際連合総会議長などを務めた[14]。
- クリシュナ・フーシーシン (1907–1967) - ジャワハルラルとヴィジャヤの妹で[15]、作家の道に進んだ[16]。
第四世代
[編集]- ブラジ・クマール・ネルー (1909–2001) - ブリジラルとラメシュワリの息子で、駐米インド大使やジャンムー・カシミール州知事、トリプラ州知事などを歴任した[17]。
- フィローズ・ガンディー (1912–1960) - 1942年3月26日にインディラと結婚した[18]。ローク・サバー(下院議会)議員として義父の政権の汚職も批判し、最も人気ある議員の一人だった[18]。
- インディラ・ガンディー (1917–1984) - ジャワハルラルとカマラの一人娘で、1966年1月19日に首相に選出された[19]。1984年10月31日に2人のシク教徒の警護隊員によって暗殺された⇒(インディラ・ガンディー暗殺事件)[20]。
- ナヤンタラ・サーガル (1927–) - ヴィジャヤの娘で、1985年に執筆した小説『リッチ・ライク・アス』が評価されて翌1986年にサーヒトヤ・アカデミー賞を受賞した[21]。
第五世代
[編集]- アルン・ネルー (1944–2013) - ナンドラルのひ孫で、1980年代に連邦政府の大臣を務めた[22]。
- ラジヴ・ガンディー (1944–1991) - インディラとフィローズの長男で、インディラの暗殺後に首相に就任した[23]。1991年5月21日に「タミル・イーラム解放のトラ」(LTTE)の女性自爆テロで暗殺された⇒(ラジーヴ・ガンディー暗殺事件)[24]。
- ソニア・ガンディー (1946–) - ラジヴの妻で、イタリア出身である[25]。現在は国民会議総裁と統一進歩同盟(UPA)議長を務めている[25]。
- サンジャイ・ガンディー (1946–1980) - インディラとフローズの次男で、インディラが最も信頼していた補佐役の一人であり、彼女の後継者と目されていた[26]。1980年6月23日に曲技飛行を試みて失敗し、発生した航空事故によって死亡した[27]。
- メーナカー・ガンディー (1956–) - サンジャイの未亡人[28]。インド人民党(BJP)に所属して環境保護活動や動物の権利運動に尽力しており、現在は連邦政府の女性子供開発省の大臣を務めている[28]。
第六世代
[編集]- ロバート・ヴァドラ (1969–) - プリヤンカの夫で著名な実業家であるが、違法な土地取引の嫌疑に直面している[29]。
- ラフル・ガンディー (1970–) - ラジヴとソニアの長男で[1][30]、現在は国民会議副総裁を務めている[31]。
- プリヤンカ・ヴァドラ (1972–) - ラジヴとソニアの長女で、「インディラの再来」とも言われて兄のラフルを上回る人気を誇り、政界入りが熱望されている[32]。
- ヴァルン・ガンディー (1980–) - サンジャイとメーナカーの息子で、父親の事故死の後に出生した[33]。33歳の若さで人民党の書記に就任した[34]。
肖像写真
[編集]-
モティラル
(第二世代) -
ジャワハルラル
(第三世代) -
ヴィジャヤ
(第三世代) -
カマラ
(第三世代) -
インディラ
(第四世代) -
ラジヴ
(第五世代) -
ソニア
(第五世代) -
メーナカー
(第五世代)
脚注
[編集]- ^ a b 山田剛 (2012年12月28日). “山田剛のINSIDE INDIA”. JCER.or.jp. 2015年1月12日閲覧。
- ^ “The making of the Gandhi dynasty” (英語). Theguardian.com (2007年5月9日). 2015年1月12日閲覧。
- ^ Lyon(2008年) p.64
- ^ “History of Delhi Police” (英語). Delhipolice.nic.in. 2015年1月12日閲覧。
- ^ a b Rau(1967年) p.7
- ^ a b c d “Pandit Motilal Nehru (1861-1931), President- Amritsar, 1919; Calcutta, 1928” (英語). Congresssandesh.com. 2009年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月12日閲覧。
- ^ Trust(1989年) p.124
- ^ Paliwal(2006年) p.7
- ^ Congress(2008年) p.215
- ^ “Community - Prominent Kashmiris” (英語). Kecss.org. 2015年1月12日閲覧。
- ^ Sonia(2004年) p.xxii
- ^ a b Frank R. Moraes. “Jawaharlal Nehru” (英語). Britannica.com. 2015年1月12日閲覧。
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- ^ “Vijaya Lakshmi Pandit” (英語). Encyclopedia.com. 2015年1月12日閲覧。
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- ^ “Governors of Gujarat: details of the life sketch of BK Nehru” (英語). Rajbhavan.gujarat.gov.in. 2015年1月12日閲覧。
- ^ a b “A forgotten patriot” (英語). Thehindu.com (2002年10月20日). 2015年1月12日閲覧。
- ^ “1966: Indira Gandhi takes charge in India” (英語). BBC.co.uk. 2015年1月12日閲覧。
- ^ “1984: Indian prime minister shot dead” (英語). BBC.co.uk. 2015年1月12日閲覧。
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- ^ Rasheed Kidwai (2013年7月27日). “Death bridges a bitter family divide” (英語). Telegraphindia.com. 2015年1月12日閲覧。
- ^ Mansingh(2006年) p.233
- ^ Sharma(2011年) p.63
- ^ a b “Sonia Gandhi” (英語). Britannica.com. 2015年1月12日閲覧。
- ^ Hussain(2009年) p.6
- ^ Katherine Frank (2004年8月23日). “What If Sanjay Gandhi Had Survived The 1980 Air Crash?” (英語). Outlookindia.com. 2015年1月12日閲覧。
- ^ a b “About Maneka Gandhi” (英語). Elections.in. 2015年1月12日閲覧。
- ^ Raj Singh (2015年1月4日). “10 facts to know about Robert Vadra, the stylish son-in-law of Congress president Sonia Gandhi” (英語). Indiatvnews.com. 2015年1月12日閲覧。
- ^ “Rahul Gandhi” (英語). Timesofindia.indiatimes.com. 2015年1月12日閲覧。
- ^ “Rahul Gandhi gets bigger role in Congress, appointed party vice-president” (英語). Timesofindia.indiatimes.com (2013年1月19日). 2015年1月12日閲覧。
- ^ “インド国民待望のカリスマ主婦 インディラ元首相の再来とも”. 47news.jp (2009年5月12日). 2015年1月12日閲覧。
- ^ Chand(1991年) p.8
- ^ “5 facts about Varun Gandhi, BJP's youngest general secretary” (英語). Firstpost.com (2013年3月31日). 2015年1月12日閲覧。
参考文献
[編集]- Peter Lyon (2008年) (英語). Conflict Between India and Pakistan: An Encyclopedia (Roots of Modern Conflict). ABC-CLIO. ISBN 978-1576077122
- M. Chalapathi Rau (1967年) (英語). Nehru for Children. Children's Book Trust. ISBN 978-8170110354
- Om Prakash Paliwal (2006年) (英語). Rameshwari Nehru, Patriot and Internationalist. University of Michigan
- Indian National Congress (2008年) (英語). 100 glorious years: Indian National Congress, 1885-1985. University of Michigan
- Unknown (1989年) (英語). Our Leaders. Children's Book Trust. ISBN 978-8170118428
- RAGHUBIR LAL ANAND (2014年) (英語). IS God DEAD?????. Partridge Publishing. ISBN 978-1482818239
- Sonia ( Ed.) (2004年) (英語). Two Alone , Two Together : Letters Betwe. Penguin Books India. ISBN 978-0143032458
- Surjit Mansingh (2006年) (英語). Historical Dictionary of India. Scarecrow Press. ISBN 978-0810865020
- Vishwamitra Sharma (2011年) (英語). Famous Indians of the 20th Century. V&S Publishers. ISBN 978-8192079684
- Yasir Hussain (2009年) (英語). Congress Voted to Power Why?. Epitome Books. ISBN 978-9380297019
- Attar Chand (1991年) (英語). Rajiv Gandhihis Mind and Ideology. Gyan Publishing House