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屯原

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トンパラから転送)

座標: 北緯24度02分22秒 東経121度12分55秒 / 北緯24.039419度 東経121.215375度 / 24.039419; 121.215375

屯原(tún yuán、トンパラ)は台湾南投県仁愛郷精英村の地名。古くはセデック族タオツア群(道澤群・Towda群)の部落トンパラ社(屯巴拉社・Tnpara社)が存在し、日本統治時代トンパラ(屯巴拉、Tnpara)と呼ばれた[1][2]

地誌

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屯原は海抜2000メートルの高所に位置し[3]省道台14線の終点である[4][3][5]。かつては吊橋が二つあったが、山崩れにより流出してしまった[3]

集落内を日本統治時代に整備された能高越嶺古道が走る。この古道は霧社を起点に春陽廬山を経て屯原に至り、さらに能高山峠を越え、中央山脈を横断し木瓜渓を下ることで花蓮の吉安まで到達する道である[6]

霧社から屯原まではこの古道沿いに省道(台14線)が整備され、屯原以東も同様に省道として整備される予定だったが、2009年の公告によって計画は中止となり、屯原が台14線の終点となった[5][7]

なお屯原以東は能高越嶺古道跡が登山道と整備されており、屯原に登山口(能高越嶺古道西段登山口)が存在する。

歴史

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1906年に台湾総督佐久間左馬太が展開した理蕃事業の一環として、1914年に太魯閣討伐戦が実施された。日本に敵対的なタロコ族を東西から挟撃するための道路が整備された。これらの道路のうちひとつが、その後も整備され、1917年に能高越道路(現在の能高越嶺古道)となった[8]。1918年に全線が開通した後、沿線には駐在所が設立され、屯巴拉駐在所もこの時に設置された[8][9]

1930年10月27日,モーナ・ルダオ率いる霧社群の部落11社が反乱を起こし、能高越道路沿い各所に建つ駐在所を攻め落とした。屯巴拉の駐在所も28日8時ごろに襲撃を受け焼失している[10]。その後、モーナ・ルダオらは霧社公学校に突入し「霧社事件」を引き起こした[1][9][11]

11月11日、日本軍に協力していたタオツア群トンパラ社の頭目タイモ・ワリス(鐵木·瓦力斯・Taimu Walis)が反乱部族との戦いの中で戦死する。これは後年、第二霧社事件が発生する遠因のひとつとなった[1]

12月にモーナ・ルダオらが自殺し、日本軍による鎮圧は終了した[1]

その後、台湾総督府は能高越道路沿線に駐在所を再び建て直し、屯巴拉駐在所も元の位置に建て直された。

屯原駐在所の跡地は能高越嶺古道登山口の下方に位置し、土台が残っている[9]。跡地周辺はススキ野原となっている[1][9][11]

2012年6月11日大雨により土石流が発生、作業所で3人が生き埋めとなり2人が死亡、1人が負傷した[12]

参考文献

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  1. ^ a b c d e 拓展台灣數位典藏計畫20個合作單位. “霧社事件經過” (中国語). 台灣多樣性知識網. 中央研究院歴史語言研究所文物館. 2013年12月8日閲覧。
  2. ^ 林文徳、傅琪貽 (2008年). “第貳章 「操縱」三族群關係之霧社事件” (中国語). 霧社事件影響三群族群關係研究. 政治大學典藏. 2013年12月8日閲覧。
  3. ^ a b c 【能高越嶺道─西段】」(中国語)『《繽紛台灣再發現》』、中国電視公司行政院農業委員会林務局、南投縣 能高越嶺道、2011年7月6日。オリジナルの2013年12月13日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20131213104128/http://green.ngo.org.tw/zh-hant/node/55052013年12月8日閲覧 
  4. ^ (中国語) 《南投縣仁愛郷行政區域圖》(比例尺1:60,000). 内政部. (2005). ISBN 9860034621 
  5. ^ a b 公告解編省道台14線廬山至仁壽路段” (中国語). 行政院公報資訊網. 行政院 (2009年11月19日). 2013年12月8日閲覧。
  6. ^ 行政院農業委員会林務局. “捌、合歡─能高越嶺國家歩道系統” (中国語). 台灣山林悠遊網. 台灣世曦工程顧問股份有限公司. 2013年12月8日閲覧。
  7. ^ “中台灣能高越嶺西段 親古道探歴史工程” (中国語). 蘋果日報. (2007年7月11日). http://www.appledaily.com.tw/appledaily/article/supplement/20070711/3631140/ 2013年12月8日閲覧。 
  8. ^ a b 葉品妤、滕淑芬. “賽德課族的古獵場——能高越嶺道” (中国語). 台灣光華雜誌. 光華畫報雜誌社. 2013年12月8日閲覧。
  9. ^ a b c d 能高古道屯原登山口與屯原駐在所” (中国語). 數位典藏與學習聯合目録. 杜奉賢、行政院原住民族委員會文化園區管理局. 2013年12月8日閲覧。
  10. ^ “霧社事件の顛末”. 台湾日日新報. (1931年1月10日). https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100300214 2017年1月23日閲覧。 (神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫より引用)
  11. ^ a b 黄國峰、杜奉賢 (2009年). “屯原駐在所入口” (中国語). 台灣原住民族數位典藏知識入口網. 行政院原住民族委員會文化園區管理局. 2013年12月8日閲覧。
  12. ^ “廬山温泉區三人活埋一獲救執行強制撤離” (中国語). 中廣新聞網 (Yahoo!奇摩新聞). (2012年6月11日). http://tw.news.yahoo.com/廬山温泉區三人活埋-獲救執行強制撤離-035159752.html 2013年12月9日閲覧. "在廬山温泉區上方的屯原一處工寮,傳出土石流活埋三名工人,消防救難人員據報,趕往救援,仁愛郷災害應變中心主任洪鳳嬌説,確定兩人不幸死亡,另外救難人員搶救出一名女子,送醫救治。"