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セバスチャン・マルティノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

セバスチャン・マルティノSebastián Martino, 1974年9月11日 - )は、アルゼンチンコルドバ出身の元レーシングドライバー[1][2]

経歴

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少年時代からレーシングカートに参戦し、1994年までFIA世界カート選手権FSAクラスで戦う。1995年に四輪レースデビューし、フォーミュラ・ルノーアルゼンチン選手権とF3スダメリカーナ(南米F3選手権)に参戦する。

1997年に来日し、東名スポーツから全日本F3選手権に参戦。日本レース界への順応に時間を要したが、第7戦仙台ハイランド大会では予選から4位タイムを出し好調、決勝レースではスタート直後に立川祐路土屋武士脇阪薫一の上位陣が一挙にリタイアと荒れ模様となったが、それをすり抜けたマルティノは優勝したトム・コロネルに次ぐ2位でフィニッシュし表彰台を獲得。これが日本でのベストリザルトとなった。年間ランキングは7位となる。同年は11月のマカオグランプリF3にも参戦したほか、N1耐久シリーズSUGO大会に藤田隆之とのチームでホンダ・シビック72号車をドライブ、16位となっている。

1998年は全日本ツーリングカー選手権で、松田秀士の後任としてシムスレーシングのステーションワゴンスバル・インプレッサで参戦したが[3]、予選から他メイカーとのタイム差が大きく大苦戦し[4]、第3戦を最後に撤退。同年は以後N1耐久にカストロール・セリカで参戦後、7月からトリイ・TOMEIより全日本F3に最終戦まで参戦。日本でのレース参戦はこの年で終了となった。

2000年にユーロオープン・バイ・ニッサン(ワールドシリーズ・バイ・ニッサンの前身)への参戦後、アルゼンチンに帰国し、TC2000アルゼンチン選手権で活躍した。2020年現在は同選手権に参戦するホンダ・レーシングのディレクターを務める[5]

レース戦歴

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全日本フォーミュラ3選手権

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チーム シャシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
1997年 TOMEI OPEL ダラーラF397 オペル・C20XE SUZ
4
TSU
6
MIN
Ret
FSW
8
SUZ
7
SUG
Ret
SEN
2
TRM
Ret
FSW
C
SUZ 7位 10
1998年 PEGASUS MOTORSPORT ダラーラF397 SUZ
6
9位 5
TEC ART トリイTOMEI ダラーラF397 トヨタ・3S-GE TSU MIN FSW TRM SUZ
7
SUG
Ret
TAI
Ret
SEN
6
SUG
4

マカオグランプリ

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チーム シャシー/エンジン 予選 ヒート1 ヒート2 総合
1997年 日本の旗 PMS TOMEI SPORT ダラーラ F397オペル 29位 13位 14位 10位

全日本ツーリングカー選手権

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チーム 使用車両 タイヤ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
1998年 シムス・レーシング スバル・インプレッサワゴン Y FSW1 FSW2 TRM
9
SUG1
DNS
SUG2 SUZ1 SUZ2 MIN1 MIN2 TAI FSW 12位 4

脚注

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外部リンク

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