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カル・クラッチロー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カル・クラッチロウから転送)
カル・クラッチロー
2015年 アメリカズグランプリ
国籍 イギリスの旗 イギリス
生年月日 (1985-10-29) 1985年10月29日(39歳)
イングランドウェスト・ミッドランズ州コヴェントリー
現在のチーム ヤマハ・テストチーム
ゼッケン 35
レースでの経歴
ロードレース世界選手権 MotoGPクラス
活動期間2011年
マニファクチャラーヤマハ (2011年2013年2021年)
ドゥカティ (2014年)
ホンダ (2015年2020年)
チャンピオン0
2023年 順位29位 (3 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
179 3 19 4 4 1187
スーパーバイク世界選手権
活動期間2008年, 2010年
マニファクチャラーホンダ, ヤマハ
チャンピオン0
2010年 順位5位 (284 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
30 3 11 6 8 311

カル・クラッチロー ( Cal Crutchlow, 1985年10月29日 - ) は、イギリスオートバイレーサー。イングランドウェスト・ミッドランズ州コヴェントリー出身。2009年スーパースポーツ世界選手権チャンピオン。

経歴

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キャリア初期

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父ディレックがオートバイレーサーであったが、カルは11歳になるまでレースに興味を持っておらず[1]コヴェントリー・シティFCアストン・ヴィラFCなどのサッカークラブのトライアルを受けたりしていたが、やがてオートバイレースに集中するようになった。

1999年、初めてのロードレースとしてUKジュニアカップに参戦すると、初年度にしてチャンピオンとなった。2000年からはアプリリアRS125チャレンジに参戦し、翌2001年にチャンピオンを獲得した[2]。2003年にはヤマハ・R6カップに参戦し、トミー・ヒルに次ぐシリーズ2位となった[3]。2004年からはイギリススーパースポーツ選手権(BSS)に参戦を開始。2005年にはシリーズランキング3位、そして参戦3年目の2006年にチャンピオンを獲得した[3]

イギリススーパーバイク選手権(2007 - 2008)

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2007年、クラッチローはイギリス国内選手権の最高峰・イギリススーパーバイク選手権(BSB)に、リズラ・スズキチームからベテランのクリス・ウォーカーのチームメイトとしてデビューを果たした。第10戦クロフトポールポジションを獲得、最終戦ブランズ・ハッチで初表彰台(3位)に立ち、シリーズランキング9位で初年度を終えた[4]

2008年 BSBブランズハッチ

2008年はHMplantホンダチームに移籍[5]、開幕戦スラクストンでのレース2でシリーズ初優勝を遂げた[6][7]。第2戦オールトン・パークではポールポジションを獲得したが、レース1ではトップを走行中に濡れた路面でラインを外して下位に沈み[8]、レース2では激しくクラッシュし足首を負傷してしまった[9]。しかしその後第3戦ブランズハッチのレース2で2勝目を挙げるなど、シーズン中盤まではチームメイトのレオン・ハスラムを上回る活躍を見せていたが、終盤はハスラムに逆転され、シェーン・バーン、ハスラムに次ぐランキング3位でシリーズ2年目を終えた。またこの年のスーパーバイク世界選手権にはハスラムと共に2ラウンドにスポット参戦し、デビュー戦となった第10戦ドニントンのレース2では見事2位表彰台に立った。さらにこの年は鈴鹿8時間耐久ロードレースモリワキから出場、山口辰也をパートナーに6位で完走を果たした[10]

スーパースポーツ世界選手権(2009)

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2009年 WSSニュルブルクリンク

2008年9月23日、クラッチローはウィルコ・ズィーレンベルグ率いるヤマハファクトリー・チームと契約を結び、2009年シーズンはスーパースポーツ世界選手権(WSS)に参戦することが発表された[11]。第10戦ブルノでメカニカルトラブルに見舞われリタイヤするまでは全戦で4位以内に入賞し、パーカルガー・ホンダチームのユージン・ラバティとチャンピオン争いを展開することとなった。クラッチローがポイント争いをリードしていたが、第12戦イモラではギアボックストラブルでシーズン2度目のリタイヤを喫したため、3ポイント差でラバティがトップに立った[12]。しかし第13戦マニクールではラバティが転倒で下位に沈み、19ポイント差でクラッチローがランキングトップに返り咲いた[13]。最終戦ポルティマオではラバティが優勝したものの、4位に入ったクラッチローがポイントテーブル上は逃げ切ってチャンピオンに輝いた。

スーパーバイク世界選手権(2010)

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2010年 SBKシルバーストン

2009年10月1日、クラッチローは翌シーズンスーパーバイク世界選手権(SBK)にステップアップし、ヤマハのファクトリー・チームから参戦することが発表された。チームメイトは、MotoGPでのシートを失った元SBKチャンピオンのジェームス・トスランドとなった[14]

クラッチローは第2戦ポルティマオで初のポールポジションを獲得したが、レース1・レース2とも勝利を挙げることはできなかった。その後も度々ポールを獲得するが勝利には届かないレースが続いていたが、第10戦シルバーストンでシーズン5度目のポールからスタートしたクラッチローは、テンケイト・ホンダのジョナサン・レイとのバトルを制し、レース1・レース2ダブル優勝を遂げた[15]。その後最終戦マニクールのレース1でシーズン3勝目を挙げ、シリーズランキングではチームメイトのトスランドを上回り、ヤマハ勢最上位となる5位でルーキーイヤーを終えた。

ロードレース世界選手権(2011 - )

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2011年 ポルトガルGP

2011年、クラッチローはロードレース世界選手権MotoGPクラスに活動の場を移し、ヤマハサテライトのテック3チームでベン・スピーズの後釜としてYZR-M1を駆ることとなった[16]第6戦イギリスGPでは予選で鎖骨を骨折し地元デビューは果たせなかったが[17]、シーズンを通してもう一人のルーキーであるカレル・アブラハムとポイントランキング争いを演じた。1ポイントのリードを持って迎えた最終戦バレンシアGPでは5位を巡っての激しい直接バトルを展開した。ファイナルラップにはアブラハムが転倒、クラッチローは前方を走っていたダニ・ペドロサの攻略にも成功し、シーズン自己ベストの4位に入賞。年間ランキング12位を記録して、ルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた[18]

2012年シーズンもテック3チームに残留、1000ccのYZR-M1を駆って2年目のシーズンを迎える[19]。第2戦スペインGPでは、キャリア初のファステストラップを記録。第12戦チェコGPでは初表彰台3位を獲得。 2013年シーズンもチームメイトであったアンドレア・ドヴィツィオーゾがドカティに移籍したため、ドカティへの移籍はならず、テック3チームに残留。3年目を迎える。ワークスマシンではなく、サテライトマシンでの参戦ではありながら、序盤から上位陣に食い込む活躍を見せ、第4戦のフランス、ルマンGPでは、フリー走行での転倒による右脛骨高原骨折、内臓へのダメージによる吐血等という状態での出場でありながら、決勝では自己最高位である2位表彰台(ルマンGPヤマハ勢最高位)を獲得し、注目を集め、年間4回の表彰台を獲得し、ヤマハ、ホンダの4人のワークスライダーに続く年間ランキング5位でシリーズを終える。

2014年シーズンはドゥカティへと移籍。ふたたびチームメイトがアンドレア・ドヴィツィオーゾとなる。アラゴンGPでは3位を獲得するなどの活躍を見せるが、全体としてはリタイアの多い振るわないシーズンとなる。年間ランキングは13位。

2015年シーズンよりLCR・ホンダチームに移籍し、チームメイトはジャック・ミラーとなる。サテライトチームではあるがワークス機のホンダRC213Vを貸与される。第3戦アルゼンチンGPでは3位表彰台を獲得するがこの年のマシンの不調もあり年間ランキングは8位。

2016年シーズンもLCR・ホンダチームに所属、クラッチローの単独参戦となる。9人の異なる優勝者が出るシーズンとなったが愛娘が誕生した直後の第11戦チェコGPにてグランプリレース初優勝、そして16戦オーストラリアGPも優勝して年間2勝を挙げ、4度表彰台を獲得する。しかしレース中の転倒も多かったため年間ランキングは7位に終わった。

2020年シーズンまでLCR・ホンダチームより参戦。

2021年シーズンからはヤマハのテストライダーに就任。ペトロナス・ヤマハSRTから左膝負傷による欠場のフランコ・モルビデリの代役として第10戦スティリアGPから第12戦イギリスGPまで出場。

主なレース戦績

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スーパースポーツ世界選手権

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シーズン バイク 出走 優勝 表彰台 PP FL ポイント シリーズ順位
2005年 ホンダCBR600RR 2 0 0 0 0 6 27位
2006年 ホンダCBR600RR 1 0 0 0 0 11 29位
2009年 ヤマハYZF-R6 14 5 10 10 9 243 1位
合計 17 5 10 10 9 260

スーパーバイク世界選手権

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シーズン バイク 出走 優勝 表彰台 PP FL ポイント シリーズ順位
2008年 ホンダCBR1000RR 4 0 1 0 0 27 23位
2010年 ヤマハYZF-R1 26 3 10 6 8 284 5位
合計 30 3 11 6 8 311

鈴鹿8時間耐久ロードレース

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開催年 バイク チーム パートナー 総合順位
2008年 ホンダCBR1000RR モリワキMOTULレーシング 山口辰也 6位

ロードレース世界選手権

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  • 凡例
  • ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
シーズン クラス バイク 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 順位 ポイント
2011年 MotoGP ヤマハ QAT
11
SPA
8
POR
8
FRA
Ret
CAT
7
GBR
DNS
NED
14
ITA
Ret
GER
14
USA
Ret
CZE
Ret
IND
11
RSM
10
ARA
9
JPN
11
AUS
Ret
MAL
C
VAL
4
12位 70
2012年 ヤマハ QAT
4
SPA
4
POR
5
FRA
8
CAT
5
GBR
6
NED
5
GER
8
ITA
6
USA
5
IND
Ret
CZE
3
RSM
Ret
ARA
4
JPN
Ret
MAL
Ret
AUS
3
VAL
Ret
7位 151
2013年 ヤマハ QAT
5
AME
4
SPA
5
FRA
2
ITA
3
CAT
Ret
NED
3
GER
2
USA
7
IND
5
CZE
17
GBR
7
RSM
6
ARA
6
MAL
6
AUS
4
JPN
7
VAL
Ret
5位 188
2014年 ドゥカティ QAT
6
AME
Ret
ARG SPA
Ret
FRA
11
ITA
Ret
CAT
Ret
NED
9
GER
10
IND
8
CZE
Ret
GBR
12
RSM
9
ARA
3
JPN
Ret
AUS
Ret
MAL
Ret
VAL
5
13位 74
2015年 チーム・LCR QAT
7
AME
7
ARG
3
SPA
4
FRA
Ret
ITA
Ret
CAT
Ret
NED
6
GER
7
IND
8
CZE
Ret
GBR
Ret
RSM
11
ARA
7
JPN
6
AUS
7
MAL
5
VAL
9
8位 125
2016年 QAT
Ret
ARG
Ret
AME
17
SPA
11
FRA
Ret
ITA
11
CAT
6
NED
Ret
GER
2
AUT
15
CZE
1
GBR
2
RSM
8
ARA
5
JPN
5
AUS
1
MAL
Ret
VAL
Ret
7位 141
2017年 QAT
Ret
ARG
3
AME
4
SPA
Ret
FRA
5
ITA
Ret
CAT
11
NED
4
GER
10
CZE
5
AUT
15
GBR
4
RSM
13
ARA
Ret
JPN
Ret
AUS
5
MAL
15
VAL
8
9位 112
2018年 QAT
4
ARG
1
AME
19
SPA
Ret
FRA
8
ITA
6
CAT
4
NED
6
GER
Ret
CZE
5
AUT
4
GBR
C
RSM
3
ARA
Ret
THA
7
JPN
2
AUS
DNS
MAL
VAL
7位 148
2019年 QAT
3
ARG
13
AME
Ret
SPA
8
FRA
9
ITA
8
CAT
Ret
NED
7
GER
3
CZE
5
AUT
Ret
GBR
6
RSM
Ret
ARA
6
THA
12
JPN
5
AUS
2
MAL
Ret
VAL
Ret
9位 133
2020年 SPA
DNS
ANC
13
CZE
13
AUT
15
STY
17
RSM
DNS
EMI
CAT
10
FRA
Ret
ARA
8
TER
11
EUR
Ret
VAL
13
POR
13
18位 32
2021年 ヤマハ QAT
DOH
POR
SPA
FRA
ITA
CAT
GER
NED
STY
17
AUT
17
GBR
17
ARA
16
RSM
AME
EMI
ALG
VAL
28位 0
2022年 QAT
INA
ARG
AME
POR
SPA
FRA
ITA
CAT
GER
NED
GBR
AUT
RSM
ARA
14
JPN
15
THA
19
AUS
13
MAL
12
VAL
16
25位 10
2023年 POR ARG AME SPA FRA ITA GER NED GBR AUT CAT RSM IND JPN
13
INA AUS THA MAL QAT VAL 29位 3

脚注

[編集]
  1. ^ http://londonbikers.com/articles/2645/bsb-rookie-cal-crutchlow-speaks-to-lb
  2. ^ Yamaha Profile – Cal Crutchlow
  3. ^ a b http://www.calcrutchlow.com/index.php?categoryid=9
  4. ^ http://www.crash.net/motorsport/bsb/feature/12211-0/qa_cal_crutchlow_-_exclusive.html
  5. ^ http://www.f1network.net/main/s180/st124756.htm
  6. ^ http://www.britishsuperbike.com/article.asp?article=674
  7. ^ http://ukpress.google.com/article/ALeqM5gZic533pJ7NRHEcv_h5XWA71nVCA
  8. ^ http://www.crash.net/motorsport/bsb/news/162938-0/byrne_holds_on_for_opening_race_honours.html
  9. ^ http://www.crash.net/motorsport/bsb/news/162949-1/byrne_bounces_back_for_double.html
  10. ^ http://www.moriwaki.co.jp/racing/01.html
  11. ^ http://www.carolenash.com/insidebikes/bike-news/crutchlow-signs-for-yamaha-wss.htm
  12. ^ http://www.motorstv.com/bike/road-racing/wsbk-ssp/30092009/wss-sofuoglu-wins-crutchlow-falls
  13. ^ http://www.bikesportnews.com/articles/article.html?id=MAGNY-COURS_WSB_LAVERTY_CRASH_HANDS_CRUTCHLOW_TITLE_1&utm_source=feedburner&utm_medium=rss
  14. ^ “Toseland confirmed with Yamaha WSB”. Insidebikes. http://www.carolenash.com/insidebikes/bike-news/toseland-confirmed-with-yamaha-wsb.htm October 1, 2009閲覧。 
  15. ^ “Crutchlow breaks WSBK duck in style”. crash.net (Crash Media Group). (2010年8月2日). http://www.crash.net/world+superbikes/news/162147/1/crutchlow_breaks_wsbk_duck_in_style.html 2010年8月2日閲覧。 
  16. ^ “Official: Cal Crutchlow to MotoGP with Tech 3”. crash.net (Crash Media Group). (2010年9月5日). http://crash.net/motogp/news/163030/1/official_cal_crutchlow_to_motogp_with_tech_3.html 2010年9月5日閲覧。 
  17. ^ http://www.motogp.com/ja/news/2011/Crutchlow+out+of+home+race
  18. ^ http://race.yamaha-motor.co.jp/motogp/2011/rd18/
  19. ^ http://www.motogp.com/ja/news/2011/Tech+3+Yamaha+and+Dovizioso+agree+deal+for+2012

外部リンク

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