エマニュエル・フレミエ
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エマニュエル・フレミエ Emmanuel Frémiet | |
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生誕 |
1824年12月6日 フランス、リヨン |
死没 |
1910年9月10日 フランス、Coulevon |
エマニュエル・フレミエ(Emmanuel Frémiet、1824年12月6日 - 1910年9月10日)はフランスの彫刻家である。主に動物を題材にした彫刻や騎馬人物像で知られる。
略歴
[編集]パリで生まれた。芸術家の家系で、従姉のソフィー・フレミエ(Sophie Frémiet: 1797-1867)は画家で、1821年に有名な彫刻家のフランソワ・リュード(1784-1855)と結婚していた。ソフィーから支援を受け、幼い頃から芸術的才能を示し、13歳で、パリの国立高等装飾美術学校に入学し、16歳で動物画などを描いた博物画家のジャック=クルストフ・ウェルネール(Jacques-Christophe Werner)の弟子になり、リトグラフの制作に従事し、パリの動植物園で動物の研究をし、死んだ動物の解剖に参加し、体の構造を研究した。
19歳の1943年に、パリのサロンにガゼルの彫刻を出展し、翌年、自分の鋳造所を作り、小型のブロンズの動物彫刻を制作し出展するようになった。パリのサロンで何度も賞を得た。1849年に最初の公共施設のための彫刻の注文を受け、その後も国やパリ市から注文を受けて作品を制作した。1855年から1859年の間に何度か 皇帝ナポレオン3世の騎馬像を作成した。1870年の普仏戦争中のパリから離れたが、パリに戻った後、自宅や工房が略奪されているのを目にしなければならなかった。
1875年にパリ植物園の植物画の教授に推薦され、ルーブル美術館の彫刻部門の監督や、動物彫刻の教師としても働いた。1878年にレジオンドヌール勲章(オフィシエ)を受勲した。
作品
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熊と戦う狩人、パリ植物園
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シモン・ボリバルの騎馬像
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女性をさらうゴリラ、ナント美術館
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リュクサンブール公園の天文の泉の亀
参考文献
[編集]- Jacques de Biez: Un maître imagier. E. Frémiet. Aux bureaux de l'Artiste, Paris 1896
- Jacques de Biez: E. Frémiet. Jouve, Paris 1910
- Phillippe Fauré-Frémiet: Frémiet. Plon, Paris 1934
- Catherine Chevillot: Emmanuel Frémiet. La main et le multiple. Katalog des Musée des Beaux-Arts de Dijon, Dijon 1988, ISBN 2-900462-28-2
- Pierre Kjellberg: Les bronzes du XIXe sièle. Dictionnaire des sculpteurs. L'Amateur, Paris 1987, ISBN 2-85917-066-9 (englische Ausgabe: Bronzes of the 19th Century. Dictionary of sculptors. Schiffer, Atglen (Pennsylvania) 1994, ISBN 0-88740-629-7)