ウード3世 (ブルゴーニュ公)
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ウード3世 Eudes III | |
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ブルゴーニュ公 | |
ウード3世のシール | |
在位 | 1192年 - 1218年 |
出生 |
1166年 |
死去 |
1218年7月6日 リヨン |
埋葬 | ブルゴーニュ公国、サン=ニコラ=レ=シトー、シトー修道院 |
配偶者 | テレサ・デ・ポルトゥガル |
アリックス・ド・ヴェルジー | |
子女 |
ジャンヌ アリックス ユーグ4世 ベアトリス |
家名 | ブルゴーニュ家 |
父親 | ブルゴーニュ公ユーグ3世 |
母親 | アリックス・ド・ロレーヌ |
ウード3世(フランス語:Eudes III, 1166年 - 1218年7月6日)は、ブルゴーニュ公(在位:1192年 - 1218年)[1]。ユーグ3世の長男。母は父の最初の妻であったロレーヌ公マチュー1世の娘アリックス。
生涯
[編集]ウード3世は父親と異なり、イングランド王ジョンや神聖ローマ皇帝オットー4世と争っていたフランス王フィリップ2世を支援した。1214年7月27日のブーヴィーヌの戦いにも兵を率いて参加し、年代記によれば騎乗していた馬2頭を失うほどの勇戦ぶりを見せたという。また、ウード3世は1209年のアルビジョア十字軍でも重要な役割を演じた[2]。深入りすることを嫌ったフィリップ2世に代わり、ウード3世が前線の指揮を執った[2]。
子女
[編集]1194年、ポルトガル王アフォンソ1世の王女テレサ(フランドル伯フィリップ寡婦)と結婚したが、子女なく1195年に結婚を解消した[3]。
次いで1199年、ヴェルジー領主ユーグとジレット・ド・トライネルの娘アリックスと結婚し[3]、以下の子女をもうけた。
- ジャンヌ(1200年 - 1223年) - ウー伯ラウル2世と結婚[4]
- アリックス(1204年 - 1266年) - クレルモン伯およびオーヴェルニュのドーファン、ロベール1世(1262年没)と結婚[4]
- ユーグ4世(1213年 - 1271年) - ブルゴーニュ公(1218年 - 1271年)[3]
- ベアトリス(1216年 - ?) - アンベール3世・ド・トワール(1279年没)と結婚
脚注
[編集]- ^ Bouchard 1988, p. 459.
- ^ a b Barber 2000, p. 110.
- ^ a b c Bouchard 1988, p. 261.
- ^ a b Adamo 2014, p. 60.
参考文献
[編集]- Adamo, Phillip C. (2014). New Monks in Old Habits: The Formation of the Caulite Monastic Order, 1193-1267. Pontifical Institute of Mediaeval Studies
- Barber, Malcolm (2000). The Cathars: Dualist Heretics in Languedoc in the High Middle Ages. Pearson Education Limited
- Bouchard, Constance Brittain (1988). Sword, Miter, and Cloister: Nobility and the Church in Burgundy, 980-1198. Cornell University Press
- Schenk, Jochen (2012). Templar Families: Landowning Families and the Order of the Temple in France, c. 1120-1307. Cambridge University Press
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