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ウルフ・チーム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ウルフ・チーム(WOLF TEAM)は、かつて存在した日本ゲームソフト会社およびブランド。ナムコ・テイルズスタジオに吸収されて活動終了。なお、本来の表記としては「・(中黒)」が入る「ウルフ・チーム」が正しい。

沿革

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ウルフ・チームは、日本テレネット社内にある同名の開発チームを前身としており、その時から『ファイナルゾーン』シリーズ、『夢幻戦士ヴァリス』などを開発した。

その後、1987年に日本テレネットのプログラマーだった秋篠雅弘が独立し、代表取締役に就任する。当時の開発チーム名をそのまま会社名にした。 『YAKSA』『アークス』シリーズ、『ミッドガルツ』『あーくしゅ』『』シリーズ、『D〜欧州蜃気楼〜』『轟』シリーズ、『天舞』シリーズ、『グラナダ』、『FZ戦記アクシス』『ソル・フィース』などを開発・販売した。

それまでパソコンゲーム中心だったが、X68000での開発をきっかけに、同じCPUを持つ家庭用ゲーム機メガドライブへ参入した。1990年7月に日本テレネットの100%子会社となり、1991年1月に同社に吸収合併された。以降は、第3開発事業部として開発チームブランドとなる。 しかし、社員との確執から、社長でありながら秋篠が退社。秋篠はJフォースを設立した。 その後、ウルフ・チームはスーパーファミコンなど家庭用向けのゲームを多く発売した。

あーくしゅ』(PC-8801版/PC-9801版)や『クリスタルチェイサー〜天空の魔晶球〜』など5作品のプログラムを担当したTOMOは、入社当時の状況について「ウルフチームは今でいうところのベンチャー企業であり、社員は若くて活気があり、ゲーム作りに対する姿勢も誠実だった」とプロジェクトEGGとのインタビューの中で振り返っており、TOMO以降も谷裕紀彦(Bug太郎)や豊田利夫が入社したとも話している[1]。また、1989年ごろに同社に入社した音楽家の桜庭統は「当時は音楽家とプログラマーとのかかわりが深く、チームで作っているという印象があった」と冨田明宏とのインタビューの中で振り返っている[2]。 その一方、TOMOは「開発期間が非常に短く、完成度が十二分にならなかった」ともABEとのインタビューの中で振り返っており、たとえばPC-8801版『あーくしゅ』の場合、TOMOがプログラマーに任命されてから発売までの期間は2か月しかなかったとしている[1]。 また、1991年に発売された『新撰組 〜幕末幻視行〜』の場合、『クリスタルチェイサー 〜天空の魔晶球〜 』のマスターアップ(1991年6月11日)から本格的な開発が開始され、その5か月後に発売された[3]

ウルフ・チームの元スタッフである谷裕紀彦によると、このような開発期間の厳しさからスタッフの独立が多く、ネバーランドカンパニーすたじお実験室ガウ・エンターテイメントなど多数のブランドが生まれたという[4]。そして1995年12月に『テイルファンタジア』(後に『テイルズ オブ ファンタジア』に改名。販売元はナムコ)のメインスタッフ達が退職してトライエースを設立。これが最後の独立となる。

その後もナムコとの関係は続き、2003年にナムコとの共同出資で設立した子会社(親会社はナムコ)ナムコ・テイルズスタジオに移行し、ウルフ・チームは開発ブランドとしての活動を終了した。

2009年平成21年)12月に、サン電子が事業停止した日本テレネット知的所有権を一旦取得したものの、後にシティコネクションに譲渡され、2019年12月にゲームメーカーであるエディアが、ウルフ・チームを含む日本テレネットの知的所有権をシティコネクションから取得したことが公表された[5][6]

発売ソフト

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脚注

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注釈

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  1. ^ 豊田利夫の持ち込み企画であり、プロトタイプ版のタイトルは「戦車くん」であったと谷裕紀彦が語った[4]

出典

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関連ブランド

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外部リンク

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